幕史研 取材記録
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2009年
2月7日〜9日 鹿児島史跡調査
2月7日

西郷公園→西郷どんの宿(日当山温泉)→月照上人追悼碑→月照上人遷化之碑・西郷隆盛蘇生の家→仙巌園→尚古集成館→照国公製艦記念碑→異人館→府晋助生誕地→桐野利秋生誕地→島津家墓地(斉彬・久光)→今和泉島津家本邸跡(篤姫生誕地)→伊東祐亨生誕地→薩藩水軍港跡→東郷平八郎墓・銅像→南洲神社・南洲墓地・顕彰館→

 西郷隆盛・村田新八・桐野利秋・篠原国幹・別府晋助・辺見十郎太、池上貞固・桂久武・西郷小兵衛・大山綱良・
 永山盛弘・溝辺高照・山野田一輔・児玉兄弟・小倉荘九郎・少年烈士(伊地知末吉・池田孝太郎・新納宗次郎)・
 庄内藩士(伴兼之・榊原政治)・森川政一・中村恕助・中津隊士(増田宋太郎)・島津啓次郎・
 福岡隊士(川越庸太郎・川庄喜徳)・平野正介・岩村県令記念碑

森有礼生誕地→祇園之洲薩英戦争砲台跡→西南の役官軍戦没者慰霊塔→ザビエル上陸記念碑→調所広郷銅像→天保山砲台跡→坂本龍馬・お竜新婚旅行の像→島津斉彬公御陣屋跡

2月8日

加治屋町付近
若き薩摩の群像→西郷南洲翁宅地跡→樺山資紀生誕地→大久保利通銅像→黒木為禎生誕地→伊地知正治生誕地→大久保利通生い立ちの碑→維新ふるさと館→西郷隆盛・従道生誕地→吉井友実生誕地→大山巌生誕地→東郷平八郎生誕地→村田新八生誕地→篠原国幹生誕地→山本権兵衛生誕地→井上良馨生誕地→井上良馨生誕地(高麗町)→大久保利通生誕地(高麗町)→関勇助生誕地→有村雄助・次左衛門生誕地→南洲寺(月照上人墓)→松方正義生誕地→三方出身名士顕彰碑→中原猶介宅跡→幾島招魂墓→川路利良銅像→涙橋決戦之碑→是枝柳右衛門生誕地

城山付近
平田靱負屋敷跡・銅像→調所広郷邸跡→大中禅寺(薩摩義士墓所)→照国神社→賞典学校跡→戊辰戦争戦死顕彰碑→島津斉彬銅像→島津久光銅像→島津忠義銅像→西郷隆盛銅像→小松帯刀銅像→鶴丸城跡→黎明館→西南役弾痕跡→私学校跡→薩摩義士碑→西郷隆盛終焉之地→西郷南洲洞窟→城山→五代友厚生誕地→草牟田陸軍火薬庫跡→小松帯刀屋敷跡→薩英戦争本陣跡→西郷武屋敷跡→西郷野屋敷跡

2月9日

日置付近
有馬新七生誕地→有馬新七墓→平野国臣歌碑→赤山靱負墓→小松帯刀墓→お仮屋跡→小松家菩提寺(銅像)→五代友厚銅像→
篤姫館→知覧 武家屋敷・特攻記念館→塩浸温泉・龍馬・お竜銅像

●龍馬会有志6人で行きました。年齢層も高かったですが、最後まで不平不満を言わずまわりました。二日目が史跡だらけで、主催者のN氏は「もうおなか一杯」と史跡を充分堪能しましたが、最後に行った西郷野屋敷跡は感動していました。桜島もきれいに拝めて、反動で三日目は、霧島温泉で度の疲れを癒しました。10年以上振りに行きつけの「ぶにせや」に行きました。マスターも顔を覚えていてくれて、とてもおいしいごちそうとうまい焼酎を堪能しました。

1月26日 京都史跡調査
薩摩藩伏見屋敷跡、小松帯刀寓居地(新しく石碑が出来たので)

●編集者兼作家のS氏が、久々の来阪。久しく史蹟をまわっていなかったとのことで、一緒に京都へ。新しく建碑されて史跡と、岩倉、等持院、河田小龍の墓など、オーソドックスなコースをまわりました。久々にあったS氏は病のため長期入院していましたが、新たな事業のため闘志を燃やし、目にはみなぎる情熱を感じました。無理しないようにね。かなり面白い企画が進行中です。詳しく発表できるときが来たら紹介しますね。

1月8日〜11日 福岡・熊本・大分史跡調査
久留米
辛未遭難志士之墓、耿介四士墓、真木和泉銅像、高山彦九郎自刃の地・墓、

阿蘇市・南阿蘇村
西南戦争関係史跡(佐川官兵衛討死之地、西南の役公園、佐川官兵衛殉難の地、薩軍慰霊碑、南郷有志隊之碑、西南戦争豊後口警視隊戦死者慰霊碑、佐川官兵衛記念館、佐川官兵衛足跡碑、南郷有志隊留魂碑、佐川官兵衛本陣跡、西南役慰霊碑、砲台跡)、

熊本市
7人の群像、谷干城銅像、熊本城(加藤清正像、銀杏の樹、時習館跡、将士奮戦之跡、神風連・加屋斎藤戦死之跡、西南戦争将校家族避難地、太田黒伴雄奮戦の地)、

竹田市
藤丸警部銅像・殉難地、広瀬中佐墓、西南戦争・鴻巣激戦地と茶屋の辻激戦地、

大分市
大分護国神社(佐川官兵衛墓、軍人墓地)

●家族で行きました。奥さんの母も一緒に。フェリーに乗りたいという母の話から、新門司へ行く名門大洋フェリーで安いプランがあったので、船中2泊、現地1泊のコースです。久留米、熊本を見学後、阿蘇へ。9日は天候も良く、きれいな阿蘇を堪能しましたが、10日には大雪!! 最悪のことを考えてチェーン持参しましたが大丈夫。国道はスムーズに走れました。子供は大雪で大喜び。途中別府湾サービスエリアでも雪が積もっており、雪遊びを堪能しました。かなりハードなコースになりましたが、阿蘇大社と宇佐神宮に行けた母は喜んでいました。

●佐川官兵衛記念館は南阿蘇村にあり、奥さんも私も久々の訪問でしたが、館長に十年以上振りでお会いできました。

2008年
12月10日 京都史跡調査

葉山観音(梅田雲浜隠棲の地)、薬師堂(三条実万卿隠棲終焉地跡) 、嵯峨二尊院(三条実万墓・三条実美遺髪墓・鷹司政通墓・壬生基修墓)、直指庵(津崎村岡住居跡・村岡局墓)

●実相院で行われた「実相院日記展」を見るため京都へ。U田氏と共に。直指庵はとてもきれいでした。紅葉の季節ならなおのことでしょうか。とても有意義なひとときを過ごしました。二尊院は公家墓の宝庫!! スゴイ数のお公家さんの墓がありました。

11月15日・16日・23日・30日 大津史跡調査

大津宿本陣跡、此附近露国皇太子遭難之地(大津事件発祥地)、岡山墓地(膳所烈士墳墓所)、膳所藩遵義堂跡(膳所高校)、安昌寺(烈士供養塔と四士の墓)、本多神社(旧膳所藩烈士之碑)・丹宮洞、琵琶湖疎水取水口、湖南塾址碑、三井寺観音堂、なべ塚、贈従五位故西川耕蔵君招魂碑、西南戦争記念碑、明治天皇玉座跡など

●イベントの講師をするので、3回下見に行きました。やはり、探せばありますね。史跡は・・・。マニアックすぎましたが美しい紅葉も堪能しました。

11月2日 堺史跡調査

惜松碑、明治天皇行在所碑(河盛仁平邸跡)、明治天皇駐蹕碑(熊野小学校・堺紡績所跡)、天誅組上陸の地、堺事件発生の地、南台場跡(蘇鉄山)、幕末砲台跡の石累、堺奉行所跡、妙国寺(土佐十一烈士切腹地)、宝珠院(土佐十一烈士墓)、堺県庁跡など

●息子が全コース歩きました。4歳児が・・・。大人でも大変な距離でしたが・・・

5月25日 大阪史跡調査

阿倍野墓地(日柳三舟・長州藩殉難48士・五代友厚・土居通夫・外山脩造・山辺丈夫・粟谷品三・高橋正純・臼田馬造・上野理一・村山龍平)、本覚寺跡(アーネスト・サトウ宿泊地・西郷吉之助会見の地)、正法寺(ハリー・パークス宿泊地)、法雲寺(アーネスト・サトウ宿泊地)、法性寺(蘭医ボードウィン寓居跡・薩摩屋半兵衛墓所・伝坂本龍馬潜伏の地)、大仙寺(伊庭八郎宿泊地)、川崎孫四郎自刃地跡、島男也旧居跡、萬福寺(新選組大坂屯所跡)、藤井藍田終焉の地、齢延寺(藤沢東?・南岳墓、島村寿太郎墓、左行秀墓)、大寶寺(新選組宿舎跡)、伊達宗広隠居(自在庵)跡、伊達宗広句碑、稱念寺(陸奥宗光及び陸奥家墓所跡、原敬 陸奥宗光に追慕の意を表す碑)、小松帯刀墓所跡、山口藩殉難諸士招魂之碑、一心寺(戊辰の役 明治戌伏見之役 東軍戦死者招魂碑、会津藩士墓)、統国寺(藤井藍田墓、藤井藍田贈位記念碑、広瀬旭荘墓、間長涯墓)

●とにかく歩きました。龍馬会の引き回しイベント。しかし大阪にもたくさんの史跡があるんですね。これを探した講師には脱帽します。

5月17日〜18日 長野史跡調査

和田宿(本陣跡)、長久保宿(石蔵本陣、釜鳴屋、石碑)、笠取峠の松並木、芦田宿(土屋本陣、山浦脇本陣)、望月宿本陣、八幡宿小松本陣・脇本陣、見宗寺、平出宿・水戸浪士休息地跡、高島城浪人塚、石投げ場・明治天皇、高松平十郎記念碑、雨宮の渡し(頼山陽歌碑)、佐久間象山砲術試射地碑、桑原宿象山記念館、八幡原史跡公園・川中島、象山神社、象山記念館、佐久間象山生誕地、煙雨亭、桜賦、望岳賦、高義亭、文武学校、旧白井家表門、真田邸、恩田木工民親銅像・屋敷跡、日本電信発祥の地・松代藩鐘楼、佐久間象山墓(蓮乗寺)、聚遠楼址、赤松小三郎遺髪墓(月窓寺)、旧上田藩主屋形跡・上田高校、戊辰役上田藩従軍記念碑、赤松小三郎記念碑、上田城址

下諏訪宿(甲州道中中山道合流の地、脇本陣まるや、魁塚、下諏訪宿問屋場跡、聴泉閣かめや・和宮宿泊地、下諏訪宿本陣・岩波家、来迎寺・藤田小四郎宿泊地、赤報隊士捕縛跡、下諏訪歴史民俗資料館、松本藩士墓(水月公園)、高崎藩陣営・山の神の森、西餅屋跡、東餅屋跡、永代人馬施工所)

●大阪から上田まで6時間以上かかりました。しかし! それ以上に素晴らしい体験と感動がありました。史跡調査の真髄を学んだような気がします。天狗党関係史跡は八幡宿から下諏訪宿まで制覇しました。

5月2日 岡山史跡調査

備前藩御屋敷跡、川田甕江生家跡、西爽亭、新島襄玉島上陸の地

●奥さんの母が岡山の玉島(現在の倉敷)出身なので、里帰りを兼ねた史跡調査に出かけた。昨年玉島上陸したときになかった新島襄の石碑にはビックリした。他にも前回見逃していた史蹟を調査した。

4月26日 滋賀史跡調査

●陽明学の大家である中江藤樹の史跡を偶然発見。滋賀県高島市にあった。予備知識なしで行ったが、充実の時間を過ごせた。高島市は琵琶湖の北西部である湖西地域にある。近隣には近藤重蔵墓(蝦夷地探索をし、択捉島に上陸した幕府役人)や浅見絅斎書院がある。近いうちに行きたい。

陽明園、中江藤樹記念館、藤樹神社、中江藤樹墓、藤樹書院跡

4月21日 大阪・奈良史跡調査

●仕事の合間に寄りました。磐船神社は我が家から来るまで20分の所にあるとても古い神社。そこの伴林光平の大きな歌碑がある。K浦氏が昨年発見した。高取城には登らなかったが、念願の鳥ヶ峰古戦場に行くことが出来た。

大阪−磐船神社(伴林光平歌碑)、奈良高取−鳥ヶ峰古戦場跡、池田邸屋敷跡、高取城移築門、伊勢屋屋敷跡、高取城松之門、田塩家屋敷、家老屋敷長屋門、高取城二の門(子嶋寺)
4月20日 大阪・南河内史跡調査

伴林光平西願寺跡、丹南藩陣屋跡、狭山陣屋跡、廿山街道、錦織神社、水郡邸、養楽寺、西方寺、杉山家住宅、仲村家住宅、白木陣屋跡、長野一郎碑、松田重助碑、竹内峠、吉田松陰宿泊地、竹内村・綿弓塚

●龍馬会主催のマニアックコース。でも充実感120%。素晴らしい内容と名講師の冴え渡る解説にうっとりした。

4月6日 岐阜・三重・愛知史跡調査−宝暦治水・後編
【岐阜県輪之内町】薩摩堰治水神社、薩摩堰遺跡碑・薩摩堰治水神社碑、大榑川洗堰碑、心厳院(薩摩義士墓)、江翁寺(薩摩義士墓)、円楽寺(舛屋伊兵衛墓)宝暦治水三之手出張小屋跡

【岐阜県大垣市上石津町】舛屋伊兵衛顕彰碑、木家陣屋跡、木家入郷地碑・美の衆陣屋跡碑

【岐阜県羽島市】薩摩義士公園・薩摩義士之碑、清江寺(薩摩義士墓・寶暦治水義士之碑)、少林寺(薩摩義士墓)、竹鼻別院(竹中伝六墓)、神宮神社・薩摩義士顕彰碑、石田の猿尾

【岐阜県笠松町】美濃郡代笠松陣屋跡

【岐阜県海津市】海津市歴史民俗資料館

●前回まわりきれなかったところを調査しました。でもまだ数カ所は残っています。次はいつ行けるのか?

3月2日 岐阜・三重・愛知史跡調査−宝暦治水・前編

【岐阜県海津市】治水神社(宝暦治水義士観音堂・薩摩義士の像・追懐薩摩義士碑・内藤十左衛門顕彰碑・宝暦治水義歿社姓名碑)、宝暦治水之碑、油島千本松、三川分流碑、国営木曽三川公園 水と緑の館、平田公園(平田靭負翁像)、常栄寺(薩摩義士墓)、円成寺(薩摩義士墓)、行基寺(高須歴代藩主墓)

【岐阜県養老町】薩摩義士役館跡(平田靱負銅像・平田靱負腰掛銅像・平田靱負終焉の地碑・平田靱負辞世歌碑)、天照寺(薩摩義士墓)、六角堂・薩摩工事義没者之墓、逆川締切洗堰跡(水神社)

【三重県桑名市】海蔵寺(薩摩義士墓・寳暦治水義士之墓所碑・寳暦治水薩摩義士之碑・治水観音・平田靱負木像)、長寿院(薩摩義士墓)、長禅寺(薩摩義士墓)、常音寺(薩摩義士墓・西田喜兵衛寄贈薩摩義士位牌)

【愛知県弥富市】證玄寺(内藤十左衛門自刃の地)

●昨年末に岐阜の史跡調査を行ったときに、宝暦治水の史跡が多数あることを知り、宝暦治水のみの史跡調査をしようということになった。あるわあるわ、宝暦治水が。薩摩義士が一丸となって、遠く離れた木曽の治水工事にやってくる。想像を絶するような幕府の命令に堪え、工事は終了する。しかし、それ以上に多数の犠牲者、多額の工事費がのしかかり藩政を圧迫する。
幕末に、薩摩藩が幕府を倒す理由は多々あるが、この宝暦治水もその中の一因としてあるのでしょうか?

2007年
12月23日 岐阜史蹟調査

岐阜公園(板垣退助銅像・明治天皇銅像・織田信長銅像・岐阜城跡・山内一豊千代婚礼碑)、加納宿(明治天皇休息所・和宮休息所)、河渡宿、美江寺宿、赤坂宿(赤坂港跡)、所郁太郎生誕地・銅像、妙法寺(所郁太郎墓・戸田三弥墓)、和宮公園、梁川星巌邸跡・記念館・庚申塚)、紅蘭生誕地、江馬細江退筆塚

●ほとんど皆無に近い状態であろう岐阜にも幕末の史跡はたくさんありました。あるもんですね。ここで時間切れとなり、大垣は後日になりました。宝暦治水の薩摩義士関連の史跡も山のようにあり、今度は大垣+宝暦治水を行くことになりそうです。

12月6-8日 鹿児島史跡調査

加治屋町−維新ふるさと館、大久保利通生誕地、西郷隆盛生誕地、大山巌生誕地、村田新八生誕地、篠原国幹生誕地、東郷平八郎生誕地、山本権兵衛生誕地、黒木為禎生誕地、伊地知正治生誕地、大久保利通生誕地、井上良馨生誕地、大久保利通銅像、

若き薩摩の群像、西郷南洲翁宅地跡、調所広郷邸跡、平田靱負屋敷跡・銅像、五代友厚生誕地、西郷隆盛終焉之地、西郷南洲洞窟、西南役薩軍本営跡、薩摩義士碑、照国神社、賞典学校跡、戊辰戦争戦死顕彰碑、島津久光銅像、島津斉彬銅像、島津忠義銅像、西郷隆盛銅像、小松帯刀銅像、造士館・演武館跡、医学館跡、五代友厚銅像、月照上人遺跡、鶴丸城跡、私学校跡、西南役弾痕跡、

別府晋助生誕地、桐野利秋生誕地、島津家墓地(斉彬・久光)、尚古集成館、照国公製艦記念碑、異人館、薩英戦争砲台跡、西南の役慰霊塔、森有礼生誕地、南洲神社・南洲墓地・顕彰館、小松帯刀屋敷跡、草牟田陸軍火薬庫跡、ザビエル上陸記念碑、坂本龍馬・お竜新婚旅行の像、月照上人追悼碑、月照上人遷化之碑・西郷隆盛蘇生の家、西郷野屋敷跡、西郷どんの宿(日当山温泉)、霧島 犬飼滝、霧島館、塩浸温泉、龍馬・お竜銅像、鹿児島空港 西郷公園

●2泊3日で鹿児島史跡調査。いや存分にまわりましたが、まだ課題ものこりました。また行かないと・・・。家族旅行でしたので、家族の皆さんご迷惑おかけしました。でも楽しい旅でした。本当にアリガトウ。

11月18日 京都史跡調査

成就院(月照・信海・西郷詩碑・忍向上人の遺址・忠僕重助碑・近藤正慎碑)、青竜寺(近藤正慎墓)、舌切茶屋、忠僕茶屋、忍向(月照)・信海両上人の蟇、清閑寺郭公亭(西郷と月照密議の跡) 、安祥院(梅田雲浜墓・大高忠兵衛墓)、若宮八幡宮(孝明天皇へその緒奉納碑)

●オーソドックスか、マニアックか、龍馬会の墓前祭+史跡探訪です。清水寺近辺でしたが、結構色んなものがありました。初めてのところが多く感動しました。

10月7日 和歌山・大阪史跡調査

境橋仇討ち場跡、嘉家作丁、春泉堂跡(紀州藩主参勤交代時の休憩所)、津田出住居跡、南方熊楠生誕の地、南方熊楠の像、勝海舟寓居跡・福島屋(清水平右衛門邸)跡、紀州藩校学習館跡、勝海舟訪問の地・紀州藩伝法の別館跡、陸奥宗光像、和歌山城、第8代将軍・徳川吉宗像、徳川吉宗生誕の地、陸奥宗光生誕の地、勝海舟訪問の地・淡島神社、勝海舟宿泊の地・加太、勝海舟宿泊の地・庄官戸口仙蔵宅跡(戸口家)、吉田松陰宿泊の地・山田文英邸跡(山田家)、吉田松陰宿泊の地・中左近邸跡(中家)、旧紀州街道

●龍馬会主催の史跡探訪。仇討ちは工事のため撤去されていましたが、初めての所ばかりで感動しました。

7月29日 三重・愛知史跡調査
吉川治太夫顕彰碑、伊賀神戸城址、伊藤雨村塾跡、松本奎堂歌碑、松本奎堂生誕地・墓、宍戸弥四郎生誕地・墓、伊藤謙吉墓、近藤勇首塚

●二日連続の史跡調査。幕史研メンバーで行きました。

7月28日 大阪史跡調査
伴林光平止宿西願寺跡、松田重助位牌跡、竹ノ内街道、綿弓塚、司馬遼太郎寓居跡、吉田松陰宿泊地、竹内峠、法華寺(吉川治太夫休息地)

●大阪の天誅組史跡、特に吉川治太夫関連をまわりました。竹ノ内街道では、司馬遼太郎さんが少年時代過ごした家や、吉田松陰が泊まった旅籠の当時の部屋を見学させて貰いました。初めてにもかかわらず、ずうずうしくお願いしました。長男と一緒だったので警戒心がほぐれたみたいです。子どもと史蹟巡りはいいことがありますね。

6月3−5日 箱根・飯能・栃木史蹟調査

埼玉−桜井寺門(五條桜井寺より移築)、能仁寺(唱儀死節碑)、観音寺、広渡寺、王宝寺、智観寺(被弾した三門)、心広寺

栃木−戦士十七名霊、戊辰役戦死之墓、安塚本陣島田家、戊辰役三志士墓、梁田公民館(弾痕の松・弾痕の柱・弾痕のある階段板)、長福寺(戦士塚・明治戊辰梁田役東軍戦死者追悼碑・衝鋒隊戦死塚)、小山宿本陣跡、常光寺(阿弥陀如来被弾仏像)、興法寺(地蔵被弾石像)、鬼怒川戊辰公園(小原沢殉難碑・塹壕跡)、法蔵寺(戦災で焼けた樫の木)、塩原妙雲寺(本堂)、宇都宮城址、二荒山神社

●学研の歴史群像のグラビア撮影のため出張。箱根ではサプライズの連続でした。位牌は本邦初公開!! 狭山になぜ桜井寺の三門があるの??? と不思議な空間です。 栃木は妙雲寺はよかった。梁田公民館はとても親切な対応でした。

箱根−三枚橋、常泉寺(遊撃隊士墓碑と位牌)、早雲寺(遊撃隊士墓・顕彰碑)、大和屋ホテル(遊撃隊士が隠れた米びつ)、遊撃隊士墓(芦の湖畔)

5月27日 姫路史蹟調査

姫路藩勤王志士終焉之地、備前門跡、船場本徳寺(西南役戦没者慰霊碑・姫路藩勤王十二士墓碑)、西国街道跡、景福寺(酒井忠績の妻)、景福寺志士の墓(永田伴正・砂川貫一郎・松平明矩、境野求馬・江坂栄次郎・松下鉄馬・市川豊二)、外濠公園(河合惣兵衛顕彰碑)、河合惣兵衛邸跡、河合橋、善導寺(河合惣兵衛・伝十郎墓、江坂栄次郎顕彰碑)

●マニアックな龍馬会のマニアックな講師によるマニアックな内容でした。なかなかいいコースで姫路にもこんな史蹟があるのかと驚きました。

5月3−5日 高知史蹟調査

5月3日 南国市・野市町方面

坂本龍馬先生先えい之地碑 才谷家先祖の墓(2カ所)
小松小太郎墓 宮地彦三郎墓 大石弥太郎邸 村田忠三郎邸跡 龍馬歴史館(銅像・大石弥太郎記念碑)、新宮馬之助生誕地 森新太郎生誕地 島村衛吉墓・記念碑 前浜砲台跡 北代健助邸跡・墓 堺事件西村左平次邸跡碑

5月4日 檮原・佐川・日高方面

宮野々関跡 檮原町歴史民俗資料館 維新の群像 掛橋和泉旧邸・吉村虎太郎先生居住地庄屋旧址 前田繁馬住居跡・鎮魂碑 那須信吾旧邸跡 那須父子道場跡 那須父子墓・那須信吾妻墓 那須招魂碑 勤王六志士墓 維新の道 

中平善之進銅像 忠魂碑(四烈士) 天忠神社 松山深蔵誕生地(北川庄屋屋敷跡) 上岡胆治生誕地 吉村虎太郎生誕地 吉村虎太郎銅像・一族の墓 三嶋神社の表忠碑 千屋家旧邸跡

千屋兄弟墓 北添きつま記念碑・生誕地 青山文庫 脱藩志士集合の赤土峠 片岡利和邸跡 田中光顕旧宅跡

5月5日 高知市内

坂本龍馬生誕地 日根野道場跡 河田小龍塾跡 近藤長次郎邸跡 才谷屋跡 河野万寿弥生誕地・左秀行邸跡 尾崎幸之進邸跡 野村維章生誕地 広井磐之助邸跡 池内蔵太邸跡 望月亀弥太邸跡 弘瀬健太邸跡 永福寺(井口事件) 坂本家墓地(岡上樹庵墓・平井収二郎墓) 平井収二郎邸跡

間崎哲馬邸跡 小南五郎右衛門邸跡 薫的神社(山田町獄舎跡) 致道館門 福岡孝弟生誕地 北会所跡・教授館跡 山内容堂生誕地 吉田東洋遭難地 武市半平太殉節地 山内容堂邸跡 旧山内下屋敷長屋 山内容堂・西郷隆盛会見地 板垣退助生誕地 後藤象二郎生誕地 要法寺(大和殉難烈士の碑) 箕浦猪之吉生誕地

板垣退助先生邸跡 佐々木高行生誕地 島浪間墓 鶴田塾跡 坂本龍馬記念館・銅像・顕彰碑 稲田貫之丞墓 中城家 川島家 吸江寺 護国神社(南海忠烈碑) 武市瑞山旧邸・墓 山田町番所 中江兆民生誕地 武市半平太道場跡 長岡健吉邸跡

●10年ぐらいぶりに土佐の史蹟調査に行きました。GW期間中でもあり渋滞を考慮して8時に出発しました。もちろん高速道路は予想通りの渋滞でしたので、地道で明石まで移動。明石海峡大橋から淡路島、徳島経由で高松道を通り南国に着いたのは14時半。ここから怒濤の史蹟調査が始まりました。「日没までが勝負」の口癖の私は陽が長くなったことが嬉しく、18時半ぐらいまで回り続けました。

2日目は7時ホテル発で、檮原方面へ。若干の小雨にあいましたが、雨雲を吹き飛ばす勢いと執念で、雨を止ませて、夕方には晴天となりました。恐るべし。

3日目は晴れ男の本領発揮!! 100%の降水確率の中、7時にホテルを出発し、市内をぐるぐる。曇り空でしたが、16時まで雨を降らせず、同行のK氏と、晴れ女××のいじり踊りで、曇天を保たせました。桂浜では雨に降られましたが、龍馬記念館に夕刻入り閉館まで楽しみました。20時過ぎに南国を出発。帰阪は1時を過ぎました。

3日間でまわった史跡は数知れず・・・。でも十分すぎるほど史跡を堪能しました。長男3歳も「龍馬りょうま」と銅像の写真を手に持ち走り回っています。すりこみとは恐ろしい。

4月15日 岡山史蹟調査

瀧善三郎義烈碑(御津)、土居四ツ塚顕彰碑・泉屋旅館跡・岡元太郎墓・島浪間墓・井原應輔墓・千屋金策墓(土居)、藤本鉄石生誕地(岡山)、西爽亭(熊田藩老節死之跡)、熊田神社、河井継之助逗留の児島屋(玉島)、石井宗謙生誕地(落合)

●岡山城天守閣の「幕末維新をかけぬけた岡山の人々」の見学と史蹟調査に行きました。印象的だったのは岡山城で飲んだ「ぜんざいコーヒー」でした。

4月7日 講演会「天誅組と坂本龍馬」 奈良県五條市にて
●自称天誅組研究家の私が天誅組顕彰会に招かれて講演を行いました。その後のパネルディスカッションでは、わたしともう一人の自称天誅組研究家K氏がパネラーとして参加しました。

3月25日 神戸史蹟調査

老中 小笠原長行ゆかりの地/八州嶺碑(摩耶山)、徳川道(幻の参勤交代ルート)、長州藩兵庫警備陣営跡(海蔵寺)、勝海舟邸跡(神戸海軍塾跡)、西国街道跡碑、神戸海軍塾(勝塾)書生寮跡、神戸事件発生地(三宮神社)、生田の森・生田神社、源平合戦・梶原景時ゆかりの史跡・梶原の井・生田神社、源平合戦・梶原景季ゆかりの史跡(箙の梅)、旧兵庫県庁舎(県公館)、明治天皇臨幸記念碑、花隈城跡、東郷平八郎寓居跡・東郷井、花隈城天守閣跡・福徳寺、初代兵庫県知事 伊藤博文寓居跡、明治維新開港当時関門跡、

湊川神社−楠木正成戦没之地・伊藤博文、江藤新平、大木喬任、大隈重信奉納の石灯籠・伊藤博文銅像跡・楠木正成墓・徳川光圀(水戸黄門)像・坂本龍馬訪問の地/楠木正成墓所

大倉山公園−孫文像・伊藤博文像跡台座・大倉喜八郎別荘跡・坂本龍馬と神戸海軍操練所記念碑・富士山之碑、

第二次長州征伐幕府軍駐屯の地・八王寺、柳原惣門跡、福海寺(足利尊氏ゆかりの寺・平清盛遺愛時雨之松碑)、柳原花街跡、後醍醐天皇駐蹕之處(福厳寺)

●龍馬会の史跡探訪で神戸を歩きました。ほんまにようけ歩きましたので筋肉痛になりました。おかげで神戸の史跡はほぼ網羅したと思います。

3月6−7日 高知史蹟調査

宿毛市内

酒井南嶺邸跡、小野梓生誕地、小野梓邸跡・銅像(記念公園)、講授館跡、文館跡、日新館跡、岩村三兄弟邸跡・生誕記念碑、林有造・譲治邸、林有造・譲治墓、中村重遠邸跡、小野梓記念碑(清宝寺)、大江卓邸跡、本山白雲邸跡、竹内綱・吉田茂邸跡、小野梓墓

四万十市(旧中村市)
幡多郷土資料館・中村城跡、幸徳秋水記念碑・墓・生家跡、樋口眞吉先生記念碑、樋口眞吉邸跡、安岡良亮邸跡、木戸明邸跡・顕彰碑・墓、行余館跡、間崎哲馬墓

四万十町(旧窪川町)
谷干城生誕地

佐川町
青山文庫、田中光顕旧邸跡

●仕事の合間に、高知県西部をじっくりまわることが出来ました。仕事の合間なので、夕方5時から7時までと早朝5時から9時までの6時間しか有りませんでしたが、なかなかいい史蹟調査が出来ました。

2月7日 京都史蹟調査

龍馬が隠れた材木小屋跡、紀州藩伏見邸跡、薩摩藩伏見邸跡、大黒寺(寺田屋殉難九烈士墓・平田靱負墓)、松林院墓地(寺田屋お登勢墓)、尾張藩伏見邸跡、玄忠寺(長州藩陣屋)、龍雲寺(薩摩藩砲台跡・佐々木采女慰霊碑・御親兵総嚮導 楢澤信之助墓・十津川親兵隊墓)   下村家住宅(太田垣連月仮寓跡碑)、醍醐寺三宝院(金剛隊士隠居地)   安楽寿院(官軍本営跡維新戦跡碑)   西村敬蔵開業の所、松本謙三郎邸跡、八幡屋卯兵衛遭難の地、浄教寺(宇和島藩本陣)、村井修理捕縛の地、大丸呉服店跡

●10時から15時まで一日中の史蹟調査でした。今回は写真撮影がメインでしたので、気楽な調査でした。醍醐への移動にかなり時間を使ってしまい、東本願寺付近は断念しました。でも遠方の写真が撮影出来たことが何よりの収穫です。

●醍醐の三宝院は現在庭を修復中でした。しかし桜の木が多くてビックリ。秀吉の「醍醐の花見」を彷彿させます。秀吉の晩年最後の贅沢に耽りながら散策しました。

1月28日 淡路島史蹟調査

古東領左衛宅跡、岡田鴨里墓(栄福寺)と邸宅跡、武田萬太夫碑、天明義民碑、大村純安墓(遍照寺)、庚午志士之碑・平瀬伊衛門墓(専称寺)、お登勢碑・稲基神社(厳島神社)、稲田家歴代墓・忠魂碑(江国寺)、田村平一郎顕彰碑・墓、お登勢銅像、洲本城址、高田屋嘉兵衛記念館・生誕地・旧宅跡・埋葬地・顕彰館 など

●今回の史蹟調査は、淡路島の幕末維新の史蹟調査でしたが、事前に様々な文献や書籍から検索し、ガイドブックなしで、地図と文献に書かれている場所を丁寧に訪問しました。墓所では住職や寺の方に親切に教えていただき、大満足の調査でした。若干史跡を残しましたが、次回は高田屋嘉兵衛公園のキャンプ場でキャンプをしながら、史蹟調査しようということになりました。

●我が家は家族で行きました。同行の皆さんには長男の面倒を見ていただき感謝いたします。帰阪後のお酒や食事はおいしかったですね。

●次回は京都へ史蹟調査しましょう! 淡路島のHPは一日も早くアップしたいと思います。

1月10日 京都史蹟調査
河原町・烏丸コース

佐賀藩邸跡→薩摩藩錦小路邸跡→浅見絅斎邸跡→尊攘堂跡→松山藩邸跡→西郷南洲寓居跡→楢崎将作邸跡→西川耕蔵邸跡→竹原好兵衛宅跡→藤本鉄石寓居跡→鳩居堂(熊谷直孝寓居跡)→妙満寺(間部詮勝寓居跡)→大洲藩邸跡→大垣藩邸跡→川越藩邸跡→大国隆正宅跡→高山彦九郎寓居跡→望楠軒(若林強斎塾跡)→目明し文吉宅跡→三田大学邸跡→頼山陽寓居跡→梅田雲浜邸跡→家里慎太郎宅跡と遭難の地→集書院跡

二条城コース

西町奉行所跡→出世稲荷神社(新門辰五郎寄進灯籠)→来迎寺(新門辰五郎宿舎)→弘前藩邸跡→紀州藩邸跡→長尾郁三郎邸跡→藤堂藩邸跡→正運寺(森孫六墓)

室町コース

大高忠兵衛寓居跡→由利公正寓居跡→仙台藩邸跡→鳥取藩邸跡→大和屋跡→近衛邸跡→水戸藩邸跡→池内大学寓居跡→玉松操邸跡→富岡鉄斎宅跡→春日潜庵生誕地・終焉の地

相国寺コース

薩摩藩二本松藩邸跡→藤井右門邸跡→養源院(薩摩藩臨時病院)→相国寺(ロッシュ宿舎・薩摩藩本陣跡)→長藩士戦亡霊塔→薩藩戦死者墓(徳嶋仲祐墓)→十念寺(曲瀬道策墓)→西園寺(若江薫子墓)→上善寺(長州藩士首塚)

●10時から16時まで、一日中史蹟調査をしました。本当に久々に史跡を堪能することが出来ました。足にはまめができ、筋肉痛ですが、健康のためしっかり歩きました。はやくHPをアップしたいと思いますが、写真の整理に時間がかかりそうです。

2006年
7月23日 生野義挙史蹟調査
生野銀山(山田顕義終焉之地)、生野義挙址、生野書院、延應寺(生野義挙集結地)、黒田與一郎・中島太郎兵衛顕彰碑、山口護国神社(殉節忠士の墓、南八郎奉献額、山伏岩)、青谿書院、青谿書院記文碑、青谿書院資料室、平野国臣捕縛の地、西念寺(木戸孝允公潜伏遺跡)、贈従四位多田弥太郎君碑・贈正五位高橋甲太郎君碑・贈従四位中條右京君碑、多田弥太郎顕彰碑、美国神社(美玉三平・中島太郎兵衛墓)、中條右京・長曽我部太七郎の墓

●某龍馬会のイベントの下見で行きました。天誅組に生野義挙・・・。滅び行く武士道に感動を覚えますが、生野義挙は天誅組より無謀な計画で、四日間で壊滅します。

7月19〜21日 東京史蹟調査

雑司ヶ谷霊園(岩瀬忠震、小栗上野介、成島柳北、ケーベル、加藤弘之、千葉重太郎・定吉、川本幸民、中島錫胤、中浜万次郎墓)、

染井霊園(下岡連杖、樺山資紀、戸田光則、高村光雲、高良斎、山脇正勝、宍戸環、若槻礼次郎、小河一敏、松浦武四郎、松平定敬、谷田部三吉、土方久元、藤堂津藩主、福岡孝弟、幣原喜重郎、平田銕胤)、

谷中霊園(安東真鉄・井上正鉄、伊東祐弘、雲井龍雄、塩谷宕陰碑・墓、岩村通駿、玉乃世履、戸塚大海、高松凌雲、佐々木信綱、佐々木男也、佐藤尚中、佐藤泰然、酒井忠興、渋沢栄一、重野安鐸、城坊俊政、村田経芳、大橋訥庵、大橋一蔵招魂碑、中村直正、津田真道、坪井信道・信良、田中芳男、渡辺小崋、南摩羽峯碑・墓、馬場辰猪、白根多助、福地源一郎墓)、

伝通院(清河八郎墓、澤宣嘉墓)、徳川慶喜終焉地、徳川慶喜巣鴨屋敷跡、日輪寺(林子平墓)、豊島ヶ岡墓所、本行寺(永井尚志墓)、本妙寺(遠山金四郎・千葉周作墓)、桂太郎墓、豪徳寺(井伊直弼墓)、慈眼寺(司馬江漢、芥川龍之介墓)、勝国寺(土屋蕭海墓)、勝林寺(田沼意次墓)、松陰神社、真珠院(水野忠誠墓)、善心寺(栗本鋤雲墓)、善性寺(浜田藩戊辰殉難者碑)、大塚千儒墓地

護国寺(三条実美、山県有朋、山田顕義、清岡公張、大隈重信、大倉喜八郎、田中光顕、南部利剛墓)、

●都内の史蹟を廻りましたが、ほとんどが墓石でした。夏の盛りでしたが、そんなに暑くなかったように思います。これで都内の四大霊園は制覇しました。あとは多磨霊園かな・・・。

7月14日〜18日 北海道史蹟調査

函館
 沖野口番所(箱館郵便役所跡)、亀田八幡宮、特別史跡五稜郭公園(函館博物館五稜郭分館、五稜郭タワー、五稜郭箱館奉行所兵糧庫跡、箱館戦争供養塔)、土方歳三銅像、土方歳三記念館、光明寺(旧幕軍・官軍戦死者墓)、高龍寺(傷心惨目碑)、四稜郭、旧称名寺、実行寺(旧幕戦死者墓)、称名寺(土方歳三・高田屋嘉兵衛墓、野戦病院跡)、咬菜園跡、高田屋屋敷跡・高田屋嘉兵衛銅像、千代ヶ岡陣屋跡、旧東照宮と権現台場跡、七重浜、中島三郎助父子最期の地碑、新島襄海外渡航の地碑、函館護国神社(新政府軍墓地)、箱館奉行所跡、八幡坂、碧血碑(柳川熊吉翁碑)、土方歳三函館記念館、土方歳三最期の地碑、弁天台場跡、己巳役海軍戦死跡、武蔵野楼跡、南部藩陣屋跡、函館山、ペリー会見地、ペリー銅像、諸術調所跡、箱館病院跡

松前
 沖の口役所跡、ゴローニン幽閉地、法華寺(赤羽音吉墓、大庭久輔・関清輔墓、砲台跡)、松前城(福山城)、藩屋敷、松前奉行所跡、松前招魂社、松前藩主墓所、折戸浜古戦場・砲台跡

江差
 法華寺(檜山奉行所正門)、江差招魂社(王政維新五十年記念碑、駒井政五郎墓、幕府軍艦開陽丸記念碑)、開陽丸、開陽丸記念館、開陽丸終焉之地、檜山奉行所跡、順正寺

大野
 意富比神社の戦い、市渡小のクリの木、稲荷神社・川濯神社(旧幕軍作戦本部)、佐藤安之助墓、硝煙倉の沢、天狗岳、中山峠、二股口古戦場跡二股口、無縁墓地、無名戦死者の墓、野戦病院跡地

乙部  箱館戦争官軍上陸の地
木古内  木古内古戦場、咸臨丸座礁地、建有川寒門跡、
知内  イギリア号遭難の地
七飯  峠下古戦場、宝琳寺(新政府軍墓)
森   鷲の木上陸地、箱館戦争鷲ノ木戦没者之碑、霊鷲院、南部藩砂原陣屋跡
厚沢部  稲倉山古戦場(碧血碑)、館城址
上磯  戸切地陣屋跡、富川八幡宮、不来台場跡、矢不来天満宮、有川官修墓地
上ノ国  芯止ノ松、大滝古戦場跡
南茅部  川汲峠

●結婚10周年記念に道南4泊5日の幕末史蹟調査旅。最高に充実した旅でした。家族3人で、思いっきり幕末を堪能しました。奥さんは榎本武揚が好きなので、この旅はぴったり。箱館戦争の史蹟を丁寧に全部廻ることが出来ました。写真の整理に数時間要しましたが、いい写真がいっぱい撮れて上機嫌です。

5月17日 愛知史蹟調査

崋山神社、渡辺崋山銅像、池ノ原幽居地、城寛寺(渡辺崋山墓)、田原城、不忠不幸渡辺登碑

●仕事で愛知県下に行った折、時間を見つけて田原町へ。渡辺崋山の史蹟調査に行きました。下調べも十分せずに行ったので、オーソドックスな史蹟のみを見学してきました。

5月6日 京都史蹟調査

狐塚(都城六勇士墓)、妙心寺大法院(佐久間象山墓)、天竜寺(弘源寺・長州藩士の刀傷、松厳寺・龍馬銅像、寿寧院・お竜楢崎将作顕彰費・供養墓)、長遠寺(人見勝太郎墓)、松林寺(見廻組屯所跡)、永井尚志邸跡、妙法院(七卿落ち出発の地)、智積院(山内容堂本陣)、小枝橋

●この日もS氏を京都引き回し。妙法院大法院が春期特別公開をしていたので、見学に行きました。佐久間象山墓は非公開でしたが、係員の特別のご配慮でお参りさせて頂くことが出来ました。これはなかなか良かったですよ。その後、嵐山へ。天竜寺境内の弘源寺(長州藩士刀傷)、松厳寺の龍馬像、天明院の楢崎将作・お龍の供養墓を見学。長遠寺の人見勝太郎墓と、松林寺(見廻組屯所)を見学後、春期特別公開中の妙法院(七卿落ち出発の地)をじっくり見学しました。

5月5日 天誅組史蹟調査

安堵町歴史民俗資料館「天誅組展」見学・今村文吾墓と額安寺(伴林光平立ち寄り地)、三枝しげる生家(淨蓮寺)、藤堂藩古市代官所跡、奈良奉行所跡(奈良女子大)、川路聖謨記念碑、奈良町資料館、柳生正木道場(京都所司代建物を移築)

●東京の編集者兼幕史研メンバーのS氏ご夫妻が来阪したので、久々に天誅組を散策しました。「天誅組展」を見学。草奔義挙研究家の草村氏の主催。規模は小さかったですが、見応えのある資料と丁寧な解説に感動しました。行って良かったです。藤堂藩古市代官所は大まかな住所と写真を頼りに史蹟捜索。長年の史蹟調査の感と、史蹟のニオイ、そして史蹟のありそうな場所を総合勘案して発見!! 探すヒントは旧街道です。でも発見できて良かったね。早速みなさん、写真を撮り始めました。柳生はのどかな風景と、柳生剣術師の子孫らしい老人たちが畑仕事をしていました。

4月22日 彦根史蹟調査

古高俊太郎生誕地・顕彰碑、金剛輪寺水雲閣(赤報隊結成の地)、高源禅寺(村山たかの肖像画)、天寧寺(井伊直弼供養塔・長野主膳墓・村山たか供養塔・五百羅漢)、清涼寺(井伊直弼参学道場)、龍譚寺(文塚・井伊家菩提寺・石田三成銅像)、井伊神社、埋木舎、彦根城、長野主膳宅跡、家老宅跡、義言地蔵(長野主膳処刑地・牢屋跡)

●守山の古高俊太郎生誕地と顕彰碑を見学して、金剛輪寺の水雲閣へ。赤報隊結成の場所です。高源禅寺では村山たかの肖像画を見ました。最晩年の肖像画で老婆の姿をしていました。
●彦根に入って天寧寺には井伊直弼供養塔と長野主膳墓、村山たか供養塔に、五百羅漢を見学し、清涼寺へ。ここは井伊直弼が学んだ参学道場があり、龍譚寺には文塚と井伊家菩提寺に石田三成銅像を、井伊神社は朽ち果てて哀愁を感じました。
●彦根城近辺には、埋木舎から、彦根城、長野主膳宅跡から家老宅跡が多数あり、ゆっくり徒歩で散策しました。義吉地蔵は、長野主膳が処刑された場所に建っている地蔵で、牢屋がその近辺にあったそうです。
●桜は散り始めていましたが、残る桜もあり、満開の時はさぞきれいだろうと思うほど、桜がたくさんありました。それに、新緑の緑が鮮やかで、寺の庭もきれいで、史跡調査にプラスして庭園散策もでき、満喫した一日でした。

4月9日 京都史蹟調査

勤王家殉難の地・小泉仁左衛門宅址、相良三兄弟墓、西念寺(西川耕蔵墓)、車折神社(葵忠社)、正定寺(福田理兵衛墓)、天竜寺(弘源寺・長州藩士の刀傷、松厳寺・龍馬銅像、寿寧院・お竜楢崎将作顕彰費・供養墓)、狐塚(都城六勇士墓)

●さすがに桜の季節はどこもかしこも人がいっぱいでした。あまり混まないところに行きましょうということで、京都の郊外の史蹟を重点にまわりました。まず樫原にある勤王志士三士の墓と遺跡、西念寺の西川耕蔵の墓。西川耕蔵の墓は、新しくなっており、前の墓石も残されていました。これは発見! それから太秦方面へ移動して、車折神社境内にある福田理兵衛を祀る癸忠社に、正定寺にある墓を探索。この車折神社は芸能の神様を祀るところで、芸能人の名前がいっぱいありました。米倉涼子の名前があったときは感動!!しました。かつみ&さゆりや里見浩太朗などすごかったです。
●車で嵐山へ入るのは不可能と判断し、車折神社に車を置いて(勝手に)、嵐山電車に乗車し、嵐山へ。案の定人の波・・・。人混みをかき分けて、天竜寺へ。ここには龍馬の銅像がある寺や、お竜・楢崎将作の顕彰碑があったり、見所一杯。そして長州藩が禁門の変の時には、ここを屯所としていた。その弘源寺には長州藩士の刀傷のある柱があります。特別公開の時しか入れませんが、今回はその期間中だったので入って見学。まあ、普通の刀傷ですわ。その後、南区の狐塚にある都城隊士の墓詣りをしました。

3月16日 萩史蹟調査

松下村塾・松陰神社・吉田稔丸生誕地・伊藤博文別邸・東光寺・吉田松陰墓所・高杉晋作隠棲地・奥平謙助生誕地・周布政之助生誕地など

●仕事で久々に九州に行くことになり、その行き道に萩に寄ることを決意した。久々の夜行バスではほとんど寝ることが出来ず、うたた寝を繰り返して早朝萩に到着。レンタサイクル借りるも雨のため断念してレンタカーに切り替えるが、ぐしょぐしょになった服で史蹟をまわる気持ちが萎え、早々に引き上げてしまった。今度は雨の降らない季節に長期間行ってやる!!

2月9日 滋賀・愛知史蹟調査

金剛輪寺(赤報隊結成地) 法蔵寺(近藤勇の首塚)

●この日は、仕事の合間を縫って、調査に行きました。すごい大雪で、ノーマルタイヤの私はドキドキしながら運転。無事史蹟にたどり着きました。法蔵寺は愛知県岡崎市にあり、徳川家康が幼少時代、勉学に励んだ由緒正しいお寺だそうです。

1月22日 京都史蹟調査

上賀茂神社、小谷墓地(太田垣蓮月墓)、神光院(太田垣蓮月隠棲の茶室)、霊源寺(岩倉具視歯牙塚) 等持院(河田小龍墓・足利三代将軍木像)、妙心寺天球院(北小路万之助墓)、妙心寺大通院(土佐藩本陣)、妙心寺慈雲院(土佐勤王党本部)、妙心寺大法院(佐久間象山墓)、 上七軒遊郭跡、北野天満宮(山国隊寄進石灯籠)、妙光寺(天章和尚終焉地)、法蔵寺(春日潜庵墓)

●久々の京都史蹟調査。今までに行ったことのないところということで、太田垣蓮月ではじまり、春日潜庵で終わるという超マニアックなコースとなりました。岩倉具視の歯を埋めた墓や、岩倉家一族の墓、足利三代将軍木像は大きさにびっくり! 想像以上の大きさで、この木像の首を引き抜いて三条河原に晒すとは・・・。妙心寺はほとんど非公開なので、墓石の写真は撮れず。佐久間象山の墓のある大法院は春に公開されるのでその時にでも・・・。北野天満宮では灯籠探し・・・。日没とともに終了。久々にいいお酒を飲みました。

1月18-20日 東京史蹟調査

円通寺(死節墓、彰義隊士墓、戦死人墓、天野八郎墓、佐野豊三郎墓、小芝長之助墓、土肥庄次郎墓、仏磨和尚墓、松平太郎墓)、(新門辰五郎碑、相馬翁輔碑、高松凌雲碑、榎本武揚追弔碑、沢太郎左衛門碑、荒井郁之助碑、大澤常正碑、彰義隊士八人合同慰霊碑、大鳥圭介碑、木下福治郎・鷹羽玄道碑、後藤鉄次郎碑、佐久間貞一碑、中田正廣碑、永井尚志・岩之丞碑、町野五八碑、丸毛靭負碑、三河屋幸三郎碑、有縁諸霊碑、良馬碑)、寛永寺黒門、回向院、平賀源内墓、榎本武揚像

青山墓地(秋月悌次郎、有村次左衛門、有村雄輔、伊地知正治、稲葉正邦、大江卓、大久保忠尚、大久保利通、大鳥圭介、尾崎三良、小野権之丞、海江田信義、香川敬三、川路利良、加納鷲雄、木村喜毅、黒田清隆、黒田長知、河野敏鎌、小村寿太郎、後藤象二郎、相楽総三、佐佐木高行、沢太郎左衛門、篠原泰之進、白峰駿馬、周布政之助、関義臣、副島種臣、高崎正風、立見尚文、外島機兵衛、平井かほ、丹羽長国、二本松戦死者慰霊碑、野津鎮雄、野村辰太郎、橋本実梁、林謙三、林董、牧野忠泰、三浦梧楼、山川浩、吉井友実 など)

●円通寺は通常、墓所内には入れませんが、事前に連絡をして許可をもらえたら、参拝できます。心ないファンのせいで、自由参拝に出来ないことを悔やんでおられました。旧幕府軍の有名人の碑や墓が林立する聖地です。これは是非参拝されたし。黒門は明治40年に上野から移築されています。維持保存は円通寺さんがされています。感動の連続でした。その後、回向院へいきましたが、墓園改修工事で、墓石は違うところに保管されているようです。今年の7月には工事が完了するので、行かれる方はそれ以降に。その足で、平賀源内墓と榎本武揚銅像へ。辺りは真っ暗になったので、写真は撮影できず・・・。その途中に「三条別邸」跡を発見!! 三条実美の別邸があり、明治6年の政変のとき西郷の勢いに卒倒して倒れたあと、ここで静養したそうです。

●さて青山墓地ですが、ここに行くには忍耐と根性と、求道心に弁当、飲み物がなければ行けません。とにかく寒い一日で、かじかみながら墓石探しをしました。上記に記載されている人はある程度有名な人ですが、そのほかにも様々な方がいますが紹介は省略します。まず、赤坂高校横にある、墓地事務所で園内地図を貰い、それを片手にまわってください。史蹟紹介のページには効率よくまわる方法を記載します(だいぶ先になりますが・・・)。私は8時半から15時半までかかりました。一日仕事になりますよ。ただ桜の季節はいいらしいですが、撮影するなら冬に限ります。なぜかというと、雨天が少ない。快晴の日が多い、木々が茂っていない、ことですね。とくに墓石周辺には木々が沢山ありますので、夏は無理だろうな、と思われる墓碑がかなりありました。

2005年
12月18日 和歌山の史蹟調査
境橋の仇討ち、華岡青洲生誕地・墓地・記念館・春林軒、森田節斎記念碑、森田節斎墓、名取本陣、陸奥宗光銅像、生誕地、海善寺(加納諸平墓)、勝海舟寓居跡、紀三井寺(佐々木只三郎墓)、長屋喜弥太顕彰碑、四役戦亡記念碑

●今年最後の史蹟調査。いつもの幕史研のメンバーで、いざ和歌山へ。とにかく寒い一日でした。小雪が舞う中、数々の史蹟を調査しました。いつもながら充実した内容でした。佐々木只三郎の墓は、昭和50年頃に作家の早乙女貢氏が会津へ改葬しており、紀三井寺に墓はあるのか?の疑問の中、恐ろしい数の石段を登り、たどり着きました。地元の方に道を尋ねたところ、車で案内していただき、その上、おいしいみかんを大量に頂きました。地元の方の暖かい心に触れ、史蹟調査の醍醐味である「おみやげ」を頂きました。有り難うございました。

12月8日 東京都内の史蹟調査

西郷隆盛銅像、彰義隊士墓、寛永寺、徳川慶喜墓、旧因州池田屋敷表門(黒門)、光源寺(甲賀源吾顕彰碑・墓)、高林寺(緒方洪庵墓)、西導寺(近藤重蔵墓)、全生庵(山岡鉄舟墓、石坂周造墓)、大円寺(高島秋帆墓)、大雄寺(高橋泥舟墓)、大林寺(松平太郎墓)、谷中(阿部正弘墓、伊達宗城墓、戸田忠至墓、三条西家墓、勝精・伊代子墓、大原重徳墓、島田一郎他墓)、天龍院(伊東玄朴墓)、養源寺(安井息軒墓)、蓮光寺(最上徳内墓)、吉祥寺(榎本武揚墓)

●上野から谷中、千駄木、団子坂を通って、本駒込へ。6時間以上歩きましたが、心地の良い疲れでした。当初予定の栃木は早く終わったので、都内の史蹟調査に繰り出しましたが、史蹟より墓石調査になってしまいました。

12月6〜7日 栃木の戊辰戦争戦跡調査

天勢寺(官修墓)、安養寺(官修墓)、観専寺(官修墓)、官軍宇都宮藩軍夫墓、戦士死十七名霊、戊辰役戦死之墓、安塚本陣島田家、戊辰役三志士墓、満福寺(旧幕軍本陣)、円林寺(真岡代官山内源七郎墓)、興光寺(官修墓)、一乗院(柴謙介、江花七之助墓)

●これで栃木の戊辰戦跡調査は終了しました。3回、都合5日間でしたが、充実した調査でした。官軍の墓より、旧幕府軍の墓のほうが綺麗に手入れされ、花など手向けてありました。

11月20日  京都史蹟調査

成就院、月照・信海両上人の碑、霊山護国神社(坂本龍馬・中岡慎太郎墓他)、翠紅館跡、吟風弄月軒(春日」潜庵)、長楽寺(頼山陽墓・頼三樹三郎墓・鵜飼吉左衛門・鵜飼幸吉墓・原市之進墓・大場一真斎墓)ほか

●ここでのおすすめはなんと言っても長楽寺かな。水戸藩士の墓がここにもあるとは・・・少しお驚きです。鵜飼親子や市之進など・・・。頼山陽の墓で有名なお寺です。あと成就院が特別拝観をしていたので見学しました。庭が見事なお寺です。

11月16〜17日  栃木の戊辰戦争戦跡調査

泰平寺(館林藩官修墓)、弾痕の松、宗聖寺(柳田勝太郎墓)、自性寺(戊辰戦争幕軍之墓)、長福寺(戦死塚・明治戊辰梁田役東軍戦死者追悼碑・衝鋒隊戦死塚)、小山宿本陣跡、常光寺(阿弥陀如来被弾仏像)、光照寺(笠間藩士墓)、天翁院(青木貞兵衛墓)、光福寺(官軍墓・信州須坂銃兵墓碑・土州上田楠次墓・信州土屋助平墓)、日光街道砲弾杉、来迎寺(斎藤嘉平墓)、回向庵(土佐藩戦死墓・佐賀藩兵戦死墓)、如来寺(戊辰戦死者供養塔)、和尚塚(無名戦士墓)、光明寺(宇都宮藩官修墓)、慈光寺(宇都宮藩官修墓)、光琳寺(因州藩士之墓・桑名藩士之墓)、戊辰役戦死墓、報恩寺(戊辰薩藩戦死者墓・戦死烈士之墓・宇都宮藩士官軍七首級之墓)、一向寺(宇都宮藩卒官修墓・倉田弥重墓・慰霊碑)

●2回目でもまわりきれなかった。さすがに戊辰戦争の戦跡や墓は全国各地に広がっている。今回の見所は、常光寺の阿弥陀如来被弾仏像でしょう。青銅でできていると思われる仏像の真ん中と下側に鉄砲の弾が当たった跡が残っている。見物だ。それと砲弾杉です。探すこと40分、目的地に到着。目印は日光街道沿いにあって、車の通れないところにある。日光市和泉のホンダプリモ前にある。詳しくは史蹟紹介で記載したい。

11月14日  愛知の天誅組史蹟調査

十念寺(松本奎堂墓)、宍戸弥四郎生誕地・顕彰碑、松本奎堂生誕地、松本奎堂歌碑、松秀寺(宍戸弥四郎墓)

●天誅組三総裁の一人である松本奎堂は愛知県刈谷市の出身である。宍戸弥四郎もここ出身。墓石や顕彰碑は綺麗に整備され、花も手向けてあった。奎堂生誕地は広い公園になっており(ブランコが二台だけある広場)大きな石碑である。入口は石垣風にアレンジしてあって、目印になっていた。

10月30日  天誅組史跡調査 (大阪府富田林市・柏原市・河内長野市ほか)

小山代官所跡、三根文治宅(辻幾之助養子先)、吉村家住宅、大和義挙天誅組遺跡碑、膳所藩西代代官所跡、長野一郎邸、東条昇之助邸、武林八郎邸、神戸藩長野代官所跡、吉年米蔵邸跡、吉年家(現存)、油屋旅館跡

●天誅組の中でもすごいマニアックな史蹟を調査しました。主に河内勢として参加した人たちの足跡を追いかけました。今回の見所はなんといっても吉村家住宅です。通常見学できないのですが、二日間に限って公開されました。めざとい幕史研は早速教育委員会に申し込んで無事見学できました。大阪にこんな立派な建物が残っているのか・・・と感心した一日でした。

7月18日  天誅組史跡調査(東吉野村)

伴林光平脱走経路、大館孫左衛門墓、伊藤弥左衛門墓、天誅組終焉之地、吉村寅太郎遺詠歌碑、吉村寅太郎原?処、吉村寅太郎顕彰碑、天誅組義士戦死の地、松本奎堂先生戦死之地、村上萬吉戦死之地、松本奎堂辞世の歌碑、天誅義士墓所(藤本津之助之墓、松本謙三郎之墓、森下幾馬之墓、森下儀之助之墓、福浦元吉之墓、村上萬吉之墓)、天誅組烈士ノ碑、天誅義士墳墓、顕彰碑、藤本鉄石・福浦元吉戦死の地、日裏屋跡、紀州藩本陣跡、藤本鉄石遺詠、藤堂藩本陣跡、油屋・藤堂藩陣所跡)、森下幾馬・儀之助 戦死之地、簾屋、庄屋・堂本孫兵衛宅・吉村寅太郎潜伏地、松本奎堂先生戦死之地、村上萬吉戦死之地、松本奎堂辞世の歌碑、庄屋・松本清兵衛屋敷跡、地蔵堂

●今回の目的は「天誅組終焉の地展」の見学と歌碑を見に行くのが目的だった。何度も行っているので・・・。ただ同行のメンバーは初めての人もいたので、一応天誅組史蹟もまわる。

●やはり天誅組といえば、東吉野村である。ここは天誅組が壊滅した場所である。3人の総裁がここで壮絶な最期を遂げるのである。この東吉野村は、のどかな田舎で、いつも行けば心が洗われる絶好の場所だ。地元の人は「ここでおこった戦は天誅組だけだ」とのことで、墓や終焉場所の石碑にはいつも花が手向けてある。我々史蹟調査人泣かせの心配りである。だからここに来ると信吾や鉄石が突っ込んでくる姿や、虎太郎の最後などを充分想像できる景色と空気が流れている。

6月15日  茨城水戸史蹟調査

弘道館、酒門共有墓地(大内利貞墓、渡辺政信墓、平山兵介墓、安島帯刀墓、佐野竹之介墓、海保帆平墓、岡田兵部墓、岡田新太郎墓、萩谷金次郎墓、戸田蓬軒墓)、常磐共有墓地(谷田部藤七郎墓、高橋広備墓、小澤寅吉墓、藤田幽谷墓、藤田東湖墓、茅根伊予之介墓、豊田小太郎墓、関鉄之介墓、小河吉三郎墓、勝村徳勝墓、川辺佐次衛門墓、森半蔵、五六郎墓、杉山秀太郎墓、杉山弥一郎墓、豊田天功墓、野村彜之介墓、梶八次郎墓、宮本佐一郎墓、瀧口六三郎墓、斉藤留次郎墓、山中新左衛門墓、田丸稲之衛門墓、鵜飼吉左衛門、鵜飼幸吉墓、前木新八郎墓、原市之進墓、有賀半弥墓、尼子長三郎墓、広岡子之次郎墓、大関和七郎墓、黒沢忠三郎墓、高橋多一郎墓、高橋庄左衛門墓、山口辰之介墓、金子孫二郎墓、海後磋磯之介墓、本間玄調墓、鮎沢伊大夫墓、林五郎三郎墓、蓮田一五郎墓、藤田小四郎墓、杉浦羔二郎墓、丹羽恵介墓)、回天神社(忠魂塔、回天神社碑、鰊蔵、記念碑)、水戸殉難志士墓碑(第1区と第2区)、妙雲寺(大老井伊掃部頭直弼台霊塚、武田耕雲斎墓、武田魁介墓、広木松之介墓、塙弥左衛門記念碑、塙弥左衛門墓)

●行ったところは4カ所でしたが、弘道館はいいとしても共同墓地にはきら星の如く活躍した志士たちが所狭しと墓石が並んでいる。今まで行った中でもこれほどまとまって墓石があるところは初めてである。興奮しながら墓石調査をした。

5月19日  栃木の戊辰戦争戦跡調査

板室古戦場跡、戦死者供養塔、大雄寺(戦死吊祭塔・黒羽表忠碑・軍夫死者之碑)、光真寺(大田原鉄之進墓)、大田原護国神社(招忠魂碑)、大田原城址、観音堂(早川永宣墓)、小原沢殉難碑・陣地跡、宝寿院(戦死供養塔)、大森元茂碑、乾徳寺(北條重参之墓)、弾痕のある墓石、西古屋官修墓、斎藤家土塁と門、法蔵寺(戦災で焼けた樫の木)、明静寺(阿久津安之助墓)、大草保助・広田太郎墓、板垣退助銅像、日光奉行所跡、龍蔵寺(臼井清左衛門墓)

●戊辰戦争は、鳥羽伏見の戦いで始まり、上野彰義隊、会津戦争、北越戦争、五稜郭の戦いなどが有名であるが、栃木でも戊辰戦争の戦場になっている。沢山の戦跡が現存している。ここでの見所は、板室古戦場跡に建つ供養塔がその後、道標になっている。(供養塔に右は○○、左は○○と書かれている)弾痕が残る墓石や戦災で焼けた樫の木などがある。

4月30日  天誅組史跡調査 (奈良県大和高田市・桜井市・大宇陀町ほか)

梅田雲濱顕彰碑・慈恩寺(前田繁馬・関為之助墓)・長谷寺・吉田屋跡・雀塚(楠目清馬墓)・慶恩寺(林豹吉郎記念碑)・林豹吉郎生誕地碑など

●今回の目玉は、吉田屋旅館を発見したことかな。安積五郎、田所騰次郎、磯崎寛、岡見留次郎ら5人が藤堂藩に見つかってしまい捕らえられたところ。ひたすら車でうろうろし、偶然発見!! うれしかった。あとは念願だった雀塚や慈恩寺に行けたことかな。それにしても一日はあっという間に過ぎ去ってしまう。我々は日没までが勝負。

4月29日  天誅組史跡調査(奈良県当麻町・御所市・下市町)

受福寺(伴林光平訪問の地) 風の森神社 下市中央公園(伴林光平歌碑) 永全寺(天誅組供養塔) 広橋峠 法泉寺(天誅組本陣跡) 樺の木峠 栃原峠 波比売神社など。

●二日連続して天誅組にどっぷりつかる。この二日間は幕史研の有力メンバーで現在東京で編集業を営んでいる某氏を大阪に迎えての史蹟調査だった。ほとんどが初訪問。今回の目玉は樺の木峠にあった「戦火で焼かれた柿木」であったが、残念ながら3年前の台風で倒れてしまった。やはり一日でも早く史蹟調査しなければ、なくなってしまうおそれがある。またこの近辺には塹壕が残っているらしい。次回の宿題となった。そうそう天誅組の砲台跡もあるらしいのだが、下調査不足でたどりつけず・・・。これも宿題

2004年 
10月3日  岡山県高梁市 山田方谷史蹟調査

●山田方谷は幕末の学者兼政治家で、板倉勝静の家老として長年仕え、藩政改革をして藩財政を立て直した経営者である。河井継之助は人生の師匠として彼に師事していた。

備中松山城、御根小屋跡、安正寺(板倉家菩提寺)、郷土資料館、山田方谷像、有終館跡、有終館の大松、武家宿花屋跡、牛麗舎跡、熊田神社、道源寺(熊田?墓、原田亀太郎墓)、見返りの榎、原田亀太郎生誕地、方谷林公園、三先賢詩碑、油屋旅館、八重籬神社、方谷先生記念碑、方谷駅、山田方谷先生舊宅跡、方谷園、方谷庵、方谷山田先生墓、方谷記念館、金剛寺(方谷庵)、方谷園(方谷先生遺蹟碑)、長瀬塾跡、小阪部塾跡、藩校有終館跡前記念碑、谷三治郎屋敷跡、正善寺(頼山陽宿泊地)御茶屋跡、方谷の里ふれあいセンター
9月23日  京都史蹟調査

●輪違屋の特別公開である。これは行かねばと皆を誘って、そして長男を連れて。この時生後6ヶ月。人生最初の史蹟調査が「輪違屋」である。これは大物になる兆しか・・・?

輪違屋、二条城
5月9日  天誅組史蹟探訪(大阪市、八尾市、藤井寺市ほか)
見性寺(中山忠尹墓)、満願寺(中山忠尹切腹地)、伴林光平顕彰碑、尊光寺(伴林光平生誕地)、伴林氏神社、古市代官所、西念寺、玉祖神社(伴林光平墓)

●天誅組河内勢研究家のK氏の案内である。いつもながら新しいところを見つけてくるな?と思うぐらいの仕事熱心。彼についていけば天誅組の史蹟踏破は時間の問題?

2月29日  京都史蹟調査
東福寺退耕庵、金戒光明寺、城南宮

●おもに資料展と特別拝観を見学したが、さして目新しいものはなし。

2003年
 12月7日  天誅組史蹟探訪(奈良県安堵町・斑鳩町)
今村文吾邸(安堵町歴史民俗資料館)、浄蓮寺(三枝蓊生誕地)、額安寺(伴林光平休息地)、駒塚(伴林光平寓居跡)、平岡鳩平宅跡

●天誅組は尽きることがない?ぐらいの史蹟である。伴林研究家のK氏の案内で存分に史蹟を味わう。

 11月9日  天誅組史蹟探訪(大阪府富田林市・柏原市・河内長野市ほか)
天誅組上陸の地、堺事件碑、狭山陣屋跡、報恩寺、仲村家住宅、水郡邸、錦織神社(天誅組記念碑、和田佐市墓)、養楽寺(水郡善之祐墓・英太郎墓・森本定勝墓)、西方寺(辻幾之助墓)、田中楠之助顕彰碑、長野一郎顕彰碑、白木陣屋、油屋旅館跡、観心寺(天誅組祈念碑)、延命寺(上田主殿墓)

●天誅組河内勢研究家のK氏の案内である。彼は天誅組の史蹟案内をしているときは、輝いている。これこそ幕末の持つ魔力のひとつかな?

 9月21日  京都史蹟調査
淀城石垣、枚方の鍵屋

●この日は京都国立博物館の坂本龍馬展を見に行くために、午前中だけの調査となった。淀城は京阪電車淀駅のホームから見る石垣が一番美しいかも。

 9月14日  京都史蹟調査
草津本陣、宝積寺(仁王門・三重塔・天王山扁額)、十七烈士の墓、十七烈士墓表碑(真木和泉の墓)、離宮八幡宮

●草津本陣は時間が止まったかのような錯覚を起こさせる建物であった。畳廊下は楽しかった。当主の話ではこの本陣で亡くなった殿様がいたそうで、跡目相続のため遺体を動かすことが出来ず、70日間遺体が安置されていた話や、和宮が3回ここに泊まったそうだが、1回目は将軍家茂に嫁ぐため、盛大にもてなされ、豪勢な食事。2回目は京へ慶喜嘆願のために向かったとき、普通の食事が出され、3回目は嘆願がうまくいかず、江戸へ向かうとき。このときはにぎりめしのみ。こんな話は本に載っていない! 生きた歴史を学ぶことが出来た。

●京都南インター近くのおせきもちで休息。大量の餅を食らった私は満足であったが、胸焼けしてしまった。●天王山は何度か登っているが、さすがにつらい。

 9月7日  京都史蹟調査
祇園白川通、大村益次郎寓居跡と遭難地碑、佐久間象山寓居跡、佐久間象山遭難之地、武市瑞山寓居跡、常楽寺(麻田時太郎墓)、誓願寺、鳩居堂、、南禅寺三門、金戒光明寺、山紫水明処、梨木神社(三条家旧邸跡)、新島襄旧宅跡、建礼門、堺町御門、猿ケ辻(姉小路公知卿遭難跡)、中山家旧邸と祐ノ井、蛤御門、大久保利通邸跡、清浄華院(姉小路公知墓・玉松操墓)、横井小楠殉節地、本満寺、薩摩藩二本松藩邸跡、福勝寺(古高俊太郎遺髪墓)、越前藩邸跡、小浜藩邸跡、京都守護職屋敷正門、所司代下屋敷跡、所司代中屋敷跡(板倉勝重・重宗屋敷跡)、所司代上屋敷跡、永井尚志邸跡、西町奉行所跡、二条城、二条陣屋、橋本左内宅跡、東町奉行所跡、六角獄舎跡、光縁寺、中村小勝太邸跡、南部亀次郎邸跡、壬生寺、壬生寺共同墓地、壬生新地跡、油小路、東寺、伏見奉行所跡碑、大光寺、流れ橋、樟葉砲台跡

●二条陣屋は予約制で京都には珍しい仕掛けのたくさんある本陣。京都には各藩邸がたくさんあるが、ここでも殿様が泊まったりしたようだ。たまたま予約してすぐに見ることが出来たのでラッキーだった。

●二条城は特別拝観で本丸御殿が見学できた。皆さんがいつも行くのは二の丸御殿。ここでトイレに走ったK氏は600円も払ってトイレだけすまして車に戻ったそうな。私とO氏は本丸御殿まで行きました。ここの2階から見る庭は格別ですわ。

 8月17日  兵庫姫路史蹟調査
亀山本徳寺(西本願寺北集会所・新選組が屯所として使用していた建物)、西南役戦没者碑 岡山県高梁市へ山田方谷関連史跡へ。

●姫路が取材目的であったが、ここまで来たからと岡山県高梁市まで足を伸ばす。亀山本徳寺はドラマでも使用された。本堂前は大きな広場があり、当時の面影を充分再現してくれる。

 8月16日  京都史蹟調査
壬生周辺の確認、八木邸(新選組屯所跡)、中村小勝太邸跡、南部亀次郎邸跡、壬生寺共同墓地、壬生新地跡、霊山護国神社(池田屋事変墓、木戸孝允夫妻墓、禁門の変墓、坂本龍馬墓、中岡慎太郎墓、西川耕蔵墓、平野国臣墓、古高俊太郎墓、村井正礼墓など)、伊藤公顕彰碑、月真院(御陵衛士屯所跡)、翠紅館跡、明保野亭騒動の跡・明保野亭跡、石塀小路、陸援隊屯所跡(土佐藩白川邸跡)、秋の山・鳥羽伏見戦跡碑、安楽寿院(官軍本営跡維新戦跡碑)、小枝橋・鳥羽伏見戦跡碑、城南宮(官軍本営跡)、悲願寺墓地(東軍戦死者埋骨地)、法伝寺(東軍戦死者埋骨地・戊辰東軍戦死之碑)、鳥羽伏見戦跡碑、魚三楼の弾痕、御香宮神社(薩長軍本陣・明治維新伏見戦跡碑)、悟真寺(東軍戦死者埋骨地・戊辰之役東軍戦死者之碑・東軍戦死者埋骨所)、薩摩藩伏見邸跡、東本願寺伏見別院、伏見奉行所跡碑、維新戦碑

●霊山護国神社より現在は行けないが、山上へ上る道がある。この道をあがること10分ぐらいで山上に出る。その山上に伊藤公顕彰碑がある。少なくとも衣服はドロドロになるので御注意を。

●伏見奉行所の石碑が二つある? 団地の入口に石碑があるのは有名ですが、もう一つ、桃陵中学校のグランドにある。学校正門中には、維新戦碑も建っている。最近学校を取り巻く事件が多発しているので、学校内にはいるときは、インターフォンで、来訪目的と撮影許可を取ること!

 8月10日  京都史蹟調査
光明寺跡(東軍戦死者埋骨地)、大専寺(東軍戦死者埋骨地)、長円寺(東軍戦死者埋骨地・森田貫輔首級碑・戊辰役東軍戦死者之碑)、東運寺(東軍戦死者埋骨地)、文相寺(東軍戦死者埋骨地)、妙教寺、淀小橋旧碑跡、淀城址、旧前川邸(新選組屯所跡)、新徳禅寺(清河八郎寓居跡)、新選組馬小屋跡、中村小勝太邸跡、南部亀次郎邸跡、肥後藩邸跡、壬生寺(河合耆三郎墓・野口健司ら七人墓・近藤勇胸像・新選組記念碑・芹沢鴨・平山五郎墓)、壬生寺共同墓地、壬生新地跡、八木邸(新選組屯所跡)

●炎天下の中、K氏O氏U氏の3人で調査。暑さのためかU氏バテバテ状態。当然である。京都の夏は暑すぎる。それでも調査に行く3人は素晴らしいと思う。

 7月13日  京都史蹟調査
教善寺(渡辺篤墓)、華光寺(宇喜多父子墓)、浄円寺(池田屋惣兵衛墓)、竹林寺(平野国臣ら志士墓地)、西刑場跡、福勝寺(古高俊太郎遺髪墓)、梅田雲浜邸跡、南禅寺三門、南禅寺(徳島藩本陣・肥後藩本陣)、南禅寺金地院(戊辰伏見鳥羽之役東軍戦死人追悼碑・会津藩戦死者記念碑)、南禅寺天授庵(梁川星巌・紅蘭墓・横井小楠墓)、南禅寺法皇寺(六角獄舎門)、北垣国道銅像、西本願寺、横井小楠殉難地、不動堂村屯所跡、秋の山・鳥羽伏見戦跡碑、小枝橋・鳥羽伏見戦跡碑、悲願寺墓地(東軍戦死者埋骨地)、法伝寺(東軍戦死者埋骨地・戊辰東軍戦死之碑)、愛宕茶屋(東軍戦死者埋骨地)、八番楳木(東軍戦死者埋骨地・戊辰役戦死者碑)、戊辰戦場址碑、妙教寺(戊辰役東軍戦死者之碑・砲弾跡)、淀堤千両松跡、番賀墓地(東軍戦死者埋骨地)、八幡共同墓地(大谷直墓)

●小枝橋がなくなっている・・・。新しく北へ50mの所に大きな小枝橋が出来ている。戦跡の石碑も違う方向を向いていた。石碑の位置が変わることはよくあるが、向きが変わることはあまりない。

●これだけの史蹟を調査するには車が必要。頑張って調査する。場所によっては数回の調査をしているところもある。今回は東京より編集者兼メンバーのS氏夫妻が来阪したので、現在までの調査報告と案内をした。

●大谷直について 実はO氏が「中山忠光の墓が八幡にある?」との記事を見つけた事に始まる。「え? 忠光は山口で客死し、下関に墓があるけど・・・」。この疑問を解くために、記事を参考に帰路八幡によってみた。

 7月6日  京都史蹟調査
教善寺(渡辺篤墓)、華光寺(宇喜多父子墓)、浄円寺(池田屋惣兵衛墓)、竹林寺(平野国臣ら志士墓地)、西刑場跡、福勝寺(古高俊太郎遺髪墓)、岩倉具視幽棲旧宅・岩倉具視遺髪墓、三縁寺(池田屋事変殉難烈士墳墓)、圓光寺(村山たか墓)、金福寺(村山たか隠棲地)、山国隊墓所

●今回は京都西部と北部。時間がかなりあったので、京北町まで足を伸ばす。そしてU氏おすすめの村山たか関連史跡へ行った。

 6月13〜15日  北海道史蹟調査
○江差町−江差法華寺(檜山奉行所正門)、江差招魂社、江差招魂社(王政維新五十年記念碑、駒井政五郎墓、幕府軍艦開陽丸記念碑)、開陽丸、開陽丸記念館、開陽丸終焉之地、檜山奉行所跡 ○大野町−富比神社の戦い、市渡小のクリの木、稲荷神社・川濯神社(旧幕軍作戦本部)、佐藤安之助墓、硝煙倉の沢、天狗岳、中山峠、二股口古戦場跡二股口、無縁墓地、無名戦死者の墓、野戦病院跡地 ○乙部町−箱館戦争官軍上陸の地 ○木古内町−木古内古戦場、咸臨丸座礁地、建有川寒門跡、不来台場跡 ○知内町−イギリア号遭難の地 ○七飯町−峠下古戦場、宝琳寺(新政府軍墓)

○函館市−石川啄木一族の墓、沖野口番所(箱館郵便役所跡)、亀田八幡宮、特別史跡五稜郭公園(函館博物館五稜郭分館、五稜郭タワー、五稜郭箱館奉行所兵糧庫跡、箱館戦争供養塔)、光明寺(旧幕軍・官軍戦死者墓)、高龍寺(傷心惨目碑)、四稜郭、旧称名寺、実行寺(旧幕戦死者墓)、称名寺(土方歳三・高田屋嘉兵衛墓、野戦病院跡)、咬菜園跡、高田屋屋敷跡・高田屋嘉兵衛銅像、千代ヶ岡陣屋跡、旧東照宮と権現台場跡、七重浜、中島三郎助父子最期の地碑、新島襄海外渡航の地碑、日本最初のコンクリート電柱、函館護国神社(新政府軍墓地)、箱館奉行所跡、八幡坂、碧血碑(柳川熊吉翁碑)、土方歳三函館記念館、土方歳三最期の地碑、弁天台場跡、己巳役海軍戦死跡、武蔵野楼跡

○福島町−福島大神宮(福島砲台)、法界寺(毛利秀吉墓) ○松前町−沖の口役所跡、ゴローニン幽閉地、法華寺(赤羽音吉墓、大庭久輔・関清輔墓、砲台跡)、松前城(福山城)、藩屋敷、松前奉行所跡 ○森町−鷲の木上陸地、箱館戦争鷲ノ木戦没者之碑、霊鷲院 ○八雲町−箱館戦争陣地跡、箱館戦争戦没者之墓(槇孝次郎・藤原与右衛門)

●突然函館に行きたくなったので、飛んでいった。早朝に大阪を出たのだが、千歳空港から道南の森町までが遠い遠い。その日は森町と江差で終わってしまった。翌日早朝から函館市内を回ったが、午前中で終了。昼から大野町付近へ。最終日は早朝から松前と木古内へ行った。今回の調査は戦況と同じように進んだので、最後が五稜郭になった。ここに立て籠もって戦ったのか・・・と。感極まって落涙してしまった。観光客のおばちゃん達は「?」とした顔して通り過ぎていった。ここで何があったのか。知っていれば少しは感動するものを・・・。戦跡順にまわったほうが、格別の感動があるのかもしれない。撮った写真600枚近く・・・。当然朝食は朝市でウニ丼でした。これは絶品!!

●今回の見所は、四稜郭、中山峠、二股口など、当時のまま残っているのがうれしい。大野町は親切な町だった。至る所に看板があり、とにかく分かりやすかった。歴史を大切にしている町だ。

 6月1日  天誅組史蹟調査
井澤宜庵宅址、常楽院(井澤宜庵墓・井澤宜庵頌徳碑)、乾十郎宅址、乾十郎先生顕彰碑、乾十郎之墓、岡八幡宮、五條代官所跡、桜井寺(天誅組本陣跡・手水鉢・天誅組義挙殉国諸霊供養碑)、史蹟公園(明治維新発祥之地・五條代官所長屋門)、極楽寺墓地(鈴木源内外五士之墓・森田文庵墓)、森田節斎頌徳碑、森田節斎宅址

●五條歴史博物館で「天誅組展」が開催されていたので、それを見学しに行った。目新しい資料はなかったが、天誅組の展示会は珍しい。五條市の奮闘に感謝である。

 5月10〜11日  福井史蹟調査
福井市内−異人館跡、御泉水屋敷(養浩館)、黄金舎跡(橘曙覧記念館)、加賀口御門跡、笠原白翁寓居跡、旧浜町、日下部・グリフィス像、左内公園(橋本左内墓・銅像)、佐佳枝廼社(中根雪江顕彰碑)、柴田勝家・お市の墓、下坂康継顕彰碑、除痘館跡、瑞源寺(福井城移築)、大安善寺(千畳敷・藩主墓、笠原白翁墓、橘曙覧墓)、丹巌洞、橘曙覧生誕地、たばこや旅館(龍馬宿泊地)、中根雪江宅跡、橋本左内生誕地、灰塚、菱川師福生誕地、福井城跡、福井神社(松平春嶽坐像)、三岡八郎宅跡、三岡八郎銅像、横井小楠・由利公正銅像、横井小楠寓居跡  ○敦賀市内−永覚寺(天狗党仮白州)、永源寺(天狗党少年保護)、新保陣屋、敦賀郷土資料館、松原神社(水戸天狗党墓、水戸烈士追悼碑、武田耕雲斎銅像、鰊蔵)  ○小浜市内−小浜城跡、梅田雲浜顕彰碑、梅田雲浜生誕地、梅田雲浜銅像、梅田雲浜墓、杉田玄白顕彰碑・銅像、順造門、中川淳庵碑、伴信友生誕地、

●福井は幕末の隠れた史跡がたくさんある。戦国時代は柴田勝家や浅井・朝倉で有名であるが、幕末は橋本左内や松平春嶽、三岡八郎を輩出している。

 5月3日  大阪史蹟調査
諏訪神社(五稜郭大砲)、南部藩武家屋敷跡、平野屋跡、旧鴻池家本宅跡、万福寺(新選組大阪屯所)、大利鼎吉遭難之地、本伝寺(谷三兄弟墓)、佐賀藩蔵屋敷跡、肥前小城藩蔵屋敷跡、大阪城京橋口、天満橋、天神橋、東町奉行所跡、西町奉行所跡、京屋忠兵衛宅跡、八軒家船着き場

●諏訪神社に五稜郭攻撃の大砲が残っている!? こんな記事を目敏く発見した私は早速幕史研で行ってみた。どうみても弾と大砲の大きさが違う。いろいろ頭の中が????になる中、宮司さんに聞いてみた。すると「それは偽物です」と。え? ここにあるいきさつも分からないそうだ・・・。疑問が頭に残りながら・・・次へ。

●内山彦次郎はどこで殺害されたのか?記録では「天神橋」になっている。ただ少し疑問。古地図では天神橋が3間、天満橋が4間。役宅から奉行所まで最短コースは天満橋。公儀がつくった橋は天満橋、天神橋、浪華橋と3つあり、天神橋は商人街をつなぐ橋だったので、商人の利用が多く、天満橋は役所がたくさんあったので、役人の利用が多かった。それに3間と4間を考えると、4間の橋を通る可能性のほうが高いと思われる。まあ勘ですが。

●京屋忠兵衛宅跡ってどこ? これは諸説有ります。土佐堀通の南側、現在の八軒家船着き場跡の石碑がある方と、北側、現在の天満橋駅がある方と。まあよく考えると、土佐堀川と土佐堀通の間にあったのではないかと思われる。これも勘ですが・・・。

 4月29日  京都史蹟調査
池田屋騒動之址、近江屋(坂本龍馬中岡慎太郎遭難之地)、三条会所跡、三条大橋、三条制札場跡、四国屋(丹虎)跡、武市瑞山寓居跡、吉村寅太郎寓居跡、八坂神社、月真院、明保野亭跡、妙法院、浄円寺(池田屋惣兵衛墓)、永井尚志邸跡、菱屋跡、熊本藩士と新選組口論の地、京都守護職屋敷跡、京都御所

●妙法院が特別拝観で見学できたことが一番の収穫。8.18の政変で京を追われた七卿がまずこの妙法院に入って、それから長州へ落ち延びていく。出発した門と出口を確認。玉座もあってなかなかよし。1時間以上堪能した。たまたま車で通りかかったときO氏が目敏く見つけた。

●守護職屋敷跡があった府庁は休日は休みだが、東口の守衛室に声をかけると中に入れる。

 3月21日  京都史蹟調査
金戒光明寺(会津墓地、柴司墓、井汲恭平墓、赤松小三郎墓、千種有文墓)、真如堂(石田英吉墓)、梁川星巌邸跡、東三本木の幾松のいた揚屋跡、山紫水明処、吉田屋旅館跡、立命館草創の地、木戸孝允邸跡、舎密局跡、島田左近暗殺地、角倉了以宅跡(第二無鄰菴)、池田屋騒動之址、大村益次郎寓居跡と遭難地碑、桂小五郎と幾松寓居跡、加賀藩邸跡、古東領左衛門寓居跡、佐久間象山寓居跡、佐久間象山遭難之地、三条会所跡、三条大橋、三条制札場跡、四国屋(丹虎)跡、武市瑞山寓居跡、対馬藩邸跡、平野国臣潜居跡、吉村寅太郎寓居跡、高山彦九郎銅像、小川亭跡、城安寺(伊東甲子太郎宿泊地)、泉涌寺戒光寺墓地(伊東甲子太郎ら御陵衛士墓)

●木戸孝允邸跡は厚生施設かもがわの中にあり、休日は入れないが、何故か開いていたので見学できた。 

●彼岸だったので、墓地はきれいに掃き清められ、花や供養がたくさん置いてあった。チョコレートや折り鶴が供えられている。ファンの方だろうか? 新選組から少しずれて、何度も行った高瀬川になってしまった。高瀬川は早朝しか写真撮影ができないので、次回に回すことにした。

 3月18日  東京史蹟調査
新選組供養塔、近藤勇の墓、新選組永倉新八墓、近藤勇最期の地、板橋宿本陣跡

●近藤勇最後の場所。JR板橋駅下車目の前にこの一角がある。

 2月23日  京都史蹟調査
新選組不動堂屯所跡、近藤勇妾宅跡、本光寺、油小路の変、天満屋跡(中井正五郎殉難地)、西本願寺(太鼓楼)、島原大門、輪違屋、角屋、新選組記念館、八木邸(新選組屯所)、旧前川邸(新選組屯所)、壬生寺、新徳寺、光縁寺、六角獄舎跡、西町奉行所跡、東町奉行所跡

●幕史研初の史蹟調査。1回目の調査では寺は次に回すことにして、オーソドックスな新選組のコースを歩いてみた。かなりの距離ではあったが目的があると非常に歩きやすい。久々に志の高い史蹟調査になった。結構抜け落ちがあったが、1回目としては大満足だった。 

●八木邸では芹沢鴨がつまづいた机があった。いじり担当のK氏はひたすらこの机をネタに語っていた。新選組が我が物顔で屋敷を使われた八木家はどのような思いで、住んでいたのか? 初期の新選組は金策のため芹沢を利用したのか? それとも芹沢が利用したのか? 近藤が新選組を統率するため粛正をしていく・・・。その現場になったところだ。 

●光縁寺では山南敬助の命日とあって、熱心なファンが大勢いたが、ひときわ目を引いたのは、だんだら羽織と袴姿ではちまきを巻いている女性だった。新選組ファンは断然女性が多く、ほとんどが女性の方だった。マニアックを自負する我々も少し身をひいてしまった。

●本光寺住職の話−伊東甲子太郎が死んだときにもたれかかった「題目石」は現在、門の内側にあるが、当時の門はもっと内側にあり、門前に「題目石」があった。 ●堀川通は現在、京都駅付近で東に曲がっているが、当時はまっすぐ南に向いていた。そして曲がっている堀川通が、昔の醒ヶ井通になる。ということは、新選組の不動堂屯所は、現在の西堀川通から油小路通の間にあった。近藤勇の妾宅で飲酒した伊東は西堀川通西側(屯所西側)から木津屋橋通を東へ移動し、油小路通を北上した。 ●油小路通は当時と同じ道幅だった。七条通の道幅は今の油小路通と同じぐらいだったそうだ。現在は北に拡張され、家を3件分削ったそうだ。油小路七条の交差点の南西門の駐車場前の自動販売機あたりに伊東の遺体を置いて、御陵衛士が来るのを待っていたそうだ。

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