2005年
12月18日 和歌山の史蹟調査
境橋の仇討ち、華岡青洲生誕地・墓地・記念館・春林軒、森田節斎記念碑、森田節斎墓、名取本陣、陸奥宗光銅像、生誕地、海善寺(加納諸平墓)、勝海舟寓居跡、紀三井寺(佐々木只三郎墓)、長屋喜弥太顕彰碑、四役戦亡記念碑

●今年最後の史蹟調査。いつもの幕史研のメンバーで、いざ和歌山へ。とにかく寒い一日でした。小雪が舞う中、数々の史蹟を調査しました。いつもながら充実した内容でした。佐々木只三郎の墓は、昭和50年頃に作家の早乙女貢氏が会津へ改葬しており、紀三井寺に墓はあるのか?の疑問の中、恐ろしい数の石段を登り、たどり着きました。地元の方に道を尋ねたところ、車で案内していただき、その上、おいしいみかんを大量に頂きました。地元の方の暖かい心に触れ、史蹟調査の醍醐味である「おみやげ」を頂きました。有り難うございました。

12月8日 東京都内の史蹟調査
西郷隆盛銅像、彰義隊士墓、寛永寺、徳川慶喜墓、旧因州池田屋敷表門(黒門)、光源寺(甲賀源吾顕彰碑・墓)、高林寺(緒方洪庵墓)、西導寺(近藤重蔵墓)、全生庵(山岡鉄舟墓、石坂周造墓)、大円寺(高島秋帆墓)、大雄寺(高橋泥舟墓)、大林寺(松平太郎墓)、谷中(阿部正弘墓、伊達宗城墓、戸田忠至墓、三条西家墓、勝精・伊代子墓、大原重徳墓、島田一郎他墓)、天龍院(伊東玄朴墓)、養源寺(安井息軒墓)、蓮光寺(最上徳内墓)、吉祥寺(榎本武揚墓)

●上野から谷中、千駄木、団子坂を通って、本駒込へ。6時間以上歩きましたが、心地の良い疲れでした。当初予定の栃木は早く終わったので、都内の史蹟調査に繰り出しましたが、史蹟より墓石調査になってしまいました。

12月6〜7日 栃木の戊辰戦争戦跡調査
天勢寺(官修墓)、安養寺(官修墓)、観専寺(官修墓)、官軍宇都宮藩軍夫墓、戦士死十七名霊、戊辰役戦死之墓、安塚本陣島田家、戊辰役三志士墓、満福寺(旧幕軍本陣)、円林寺(真岡代官山内源七郎墓)、興光寺(官修墓)、一乗院(柴謙介、江花七之助墓)

●これで栃木の戊辰戦跡調査は終了しました。3回、都合5日間でしたが、充実した調査でした。官軍の墓より、旧幕府軍の墓のほうが綺麗に手入れされ、花など手向けてありました。

11月20日  京都史蹟調査

成就院、月照・信海両上人の碑、霊山護国神社(坂本龍馬・中岡慎太郎墓他)、翠紅館跡、吟風弄月軒(春日」潜庵)、長楽寺(頼山陽墓・頼三樹三郎墓・鵜飼吉左衛門・鵜飼幸吉墓・原市之進墓・大場一真斎墓)ほか

●ここでのおすすめはなんと言っても長楽寺かな。水戸藩士の墓がここにもあるとは・・・少しお驚きです。鵜飼親子や市之進など・・・。頼山陽の墓で有名なお寺です。あと成就院が特別拝観をしていたので見学しました。庭が見事なお寺です。

11月16〜17日  栃木の戊辰戦争戦跡調査
泰平寺(館林藩官修墓)、弾痕の松、宗聖寺(柳田勝太郎墓)、自性寺(戊辰戦争幕軍之墓)、長福寺(戦死塚・明治戊辰梁田役東軍戦死者追悼碑・衝鋒隊戦死塚)、小山宿本陣跡、常光寺(阿弥陀如来被弾仏像)、光照寺(笠間藩士墓)、天翁院(青木貞兵衛墓)、光福寺(官軍墓・信州須坂銃兵墓碑・土州上田楠次墓・信州土屋助平墓)、日光街道砲弾杉、来迎寺(斎藤嘉平墓)、回向庵(土佐藩戦死墓・佐賀藩兵戦死墓)、如来寺(戊辰戦死者供養塔)、和尚塚(無名戦士墓)、光明寺(宇都宮藩官修墓)、慈光寺(宇都宮藩官修墓)、光琳寺(因州藩士之墓・桑名藩士之墓)、戊辰役戦死墓、報恩寺(戊辰薩藩戦死者墓・戦死烈士之墓・宇都宮藩士官軍七首級之墓)、一向寺(宇都宮藩卒官修墓・倉田弥重墓・慰霊碑)

●2回目でもまわりきれなかった。さすがに戊辰戦争の戦跡や墓は全国各地に広がっている。今回の見所は、常光寺の阿弥陀如来被弾仏像でしょう。青銅でできていると思われる仏像の真ん中と下側に鉄砲の弾が当たった跡が残っている。見物だ。それと砲弾杉です。探すこと40分、目的地に到着。目印は日光街道沿いにあって、車の通れないところにある。日光市和泉のホンダプリモ前にある。詳しくは史蹟紹介で記載したい。

11月14日  愛知の天誅組史蹟調査

十念寺(松本奎堂墓)、宍戸弥四郎生誕地・顕彰碑、松本奎堂生誕地、松本奎堂歌碑、松秀寺(宍戸弥四郎墓)

●天誅組三総裁の一人である松本奎堂は愛知県刈谷市の出身である。宍戸弥四郎もここ出身。墓石や顕彰碑は綺麗に整備され、花も手向けてあった。奎堂生誕地は広い公園になっており(ブランコが二台だけある広場)大きな石碑である。入口は石垣風にアレンジしてあって、目印になっていた。

10月30日  天誅組史跡調査 (大阪府富田林市・柏原市・河内長野市ほか)

小山代官所跡、三根文治宅(辻幾之助養子先)、吉村家住宅、大和義挙天誅組遺跡碑、膳所藩西代代官所跡、長野一郎邸、東条昇之助邸、武林八郎邸、神戸藩長野代官所跡、吉年米蔵邸跡、吉年家(現存)、油屋旅館跡

●天誅組の中でもすごいマニアックな史蹟を調査しました。主に河内勢として参加した人たちの足跡を追いかけました。今回の見所はなんといっても吉村家住宅です。通常見学できないのですが、二日間に限って公開されました。めざとい幕史研は早速教育委員会に申し込んで無事見学できました。大阪にこんな立派な建物が残っているのか・・・と感心した一日でした。

7月18日  天誅組史跡調査(東吉野村)

伴林光平脱走経路、大館孫左衛門墓、伊藤弥左衛門墓、天誅組終焉之地、吉村寅太郎遺詠歌碑、吉村寅太郎原?処、吉村寅太郎顕彰碑、天誅組義士戦死の地、松本奎堂先生戦死之地、村上萬吉戦死之地、松本奎堂辞世の歌碑、天誅義士墓所(藤本津之助之墓、松本謙三郎之墓、森下幾馬之墓、森下儀之助之墓、福浦元吉之墓、村上萬吉之墓)、天誅組烈士ノ碑、天誅義士墳墓、顕彰碑、藤本鉄石・福浦元吉戦死の地、日裏屋跡、紀州藩本陣跡、藤本鉄石遺詠、藤堂藩本陣跡、油屋・藤堂藩陣所跡)、森下幾馬・儀之助 戦死之地、簾屋、庄屋・堂本孫兵衛宅・吉村寅太郎潜伏地、松本奎堂先生戦死之地、村上萬吉戦死之地、松本奎堂辞世の歌碑、庄屋・松本清兵衛屋敷跡、地蔵堂

●今回の目的は「天誅組終焉の地展」の見学と歌碑を見に行くのが目的だった。何度も行っているので・・・。ただ同行のメンバーは初めての人もいたので、一応天誅組史蹟もまわる。

●やはり天誅組といえば、東吉野村である。ここは天誅組が壊滅した場所である。3人の総裁がここで壮絶な最期を遂げるのである。この東吉野村は、のどかな田舎で、いつも行けば心が洗われる絶好の場所だ。地元の人は「ここでおこった戦は天誅組だけだ」とのことで、墓や終焉場所の石碑にはいつも花が手向けてある。我々史蹟調査人泣かせの心配りである。だからここに来ると信吾や鉄石が突っ込んでくる姿や、虎太郎の最後などを充分想像できる景色と空気が流れている。

6月15日  茨城水戸史蹟調査
弘道館、酒門共有墓地(大内利貞墓、渡辺政信墓、平山兵介墓、安島帯刀墓、佐野竹之介墓、海保帆平墓、岡田兵部墓、岡田新太郎墓、萩谷金次郎墓、戸田蓬軒墓)、常磐共有墓地(谷田部藤七郎墓、高橋広備墓、小澤寅吉墓、藤田幽谷墓、藤田東湖墓、茅根伊予之介墓、豊田小太郎墓、関鉄之介墓、小河吉三郎墓、勝村徳勝墓、川辺佐次衛門墓、森半蔵、五六郎墓、杉山秀太郎墓、杉山弥一郎墓、豊田天功墓、野村彜之介墓、梶八次郎墓、宮本佐一郎墓、瀧口六三郎墓、斉藤留次郎墓、山中新左衛門墓、田丸稲之衛門墓、鵜飼吉左衛門、鵜飼幸吉墓、前木新八郎墓、原市之進墓、有賀半弥墓、尼子長三郎墓、広岡子之次郎墓、大関和七郎墓、黒沢忠三郎墓、高橋多一郎墓、高橋庄左衛門墓、山口辰之介墓、金子孫二郎墓、海後磋磯之介墓、本間玄調墓、鮎沢伊大夫墓、林五郎三郎墓、蓮田一五郎墓、藤田小四郎墓、杉浦羔二郎墓、丹羽恵介墓)、回天神社(忠魂塔、回天神社碑、鰊蔵、記念碑)、水戸殉難志士墓碑(第1区と第2区)、妙雲寺(大老井伊掃部頭直弼台霊塚、武田耕雲斎墓、武田魁介墓、広木松之介墓、塙弥左衛門記念碑、塙弥左衛門墓)

●行ったところは4カ所でしたが、弘道館はいいとしても共同墓地にはきら星の如く活躍した志士たちが所狭しと墓石が並んでいる。今まで行った中でもこれほどまとまって墓石があるところは初めてである。興奮しながら墓石調査をした。

5月19日  栃木の戊辰戦争戦跡調査

板室古戦場跡、戦死者供養塔、大雄寺(戦死吊祭塔・黒羽表忠碑・軍夫死者之碑)、光真寺(大田原鉄之進墓)、大田原護国神社(招忠魂碑)、大田原城址、観音堂(早川永宣墓)、小原沢殉難碑・陣地跡、宝寿院(戦死供養塔)、大森元茂碑、乾徳寺(北條重参之墓)、弾痕のある墓石、西古屋官修墓、斎藤家土塁と門、法蔵寺(戦災で焼けた樫の木)、明静寺(阿久津安之助墓)、大草保助・広田太郎墓、板垣退助銅像、日光奉行所跡、龍蔵寺(臼井清左衛門墓)

●戊辰戦争は、鳥羽伏見の戦いで始まり、上野彰義隊、会津戦争、北越戦争、五稜郭の戦いなどが有名であるが、栃木でも戊辰戦争の戦場になっている。沢山の戦跡が現存している。ここでの見所は、板室古戦場跡に建つ供養塔がその後、道標になっている。(供養塔に右は○○、左は○○と書かれている)弾痕が残る墓石や戦災で焼けた樫の木などがある。

4月30日  天誅組史跡調査 (奈良県大和高田市・桜井市・大宇陀町ほか)

梅田雲濱顕彰碑・慈恩寺(前田繁馬・関為之助墓)・長谷寺・吉田屋跡・雀塚(楠目清馬墓)・慶恩寺(林豹吉郎記念碑)・林豹吉郎生誕地碑など

●今回の目玉は、吉田屋旅館を発見したことかな。安積五郎、田所騰次郎、磯崎寛、岡見留次郎ら5人が藤堂藩に見つかってしまい捕らえられたところ。ひたすら車でうろうろし、偶然発見!! うれしかった。あとは念願だった雀塚や慈恩寺に行けたことかな。それにしても一日はあっという間に過ぎ去ってしまう。我々は日没までが勝負。

4月29日  天誅組史跡調査(奈良県当麻町・御所市・下市町)

受福寺(伴林光平訪問の地) 風の森神社 下市中央公園(伴林光平歌碑) 永全寺(天誅組供養塔) 広橋峠 法泉寺(天誅組本陣跡) 樺の木峠 栃原峠 波比売神社など。

●二日連続して天誅組にどっぷりつかる。この二日間は幕史研の有力メンバーで現在東京で編集業を営んでいる某氏を大阪に迎えての史蹟調査だった。ほとんどが初訪問。今回の目玉は樺の木峠にあった「戦火で焼かれた柿木」であったが、残念ながら3年前の台風で倒れてしまった。やはり一日でも早く史蹟調査しなければ、なくなってしまうおそれがある。またこの近辺には塹壕が残っているらしい。次回の宿題となった。そうそう天誅組の砲台跡もあるらしいのだが、下調査不足でたどりつけず・・・。これも宿題!!

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