2003年
 12月7日  天誅組史蹟探訪(奈良県安堵町・斑鳩町)
今村文吾邸(安堵町歴史民俗資料館)、浄蓮寺(三枝蓊生誕地)、額安寺(伴林光平休息地)、駒塚(伴林光平寓居跡)、平岡鳩平宅跡

●天誅組は尽きることがない?ぐらいの史蹟である。伴林研究家のK氏の案内で存分に史蹟を味わう。

 11月9日  天誅組史蹟探訪(大阪府富田林市・柏原市・河内長野市ほか)
天誅組上陸の地、堺事件碑、狭山陣屋跡、報恩寺、仲村家住宅、水郡邸、錦織神社(天誅組記念碑、和田佐市墓)、養楽寺(水郡善之祐墓・英太郎墓・森本定勝墓)、西方寺(辻幾之助墓)、田中楠之助顕彰碑、長野一郎顕彰碑、白木陣屋、油屋旅館跡、観心寺(天誅組祈念碑)、延命寺(上田主殿墓)

●天誅組河内勢研究家のK氏の案内である。彼は天誅組の史蹟案内をしているときは、輝いている。これこそ幕末の持つ魔力のひとつかな?

 9月21日  京都史蹟調査
淀城石垣、枚方の鍵屋

●この日は京都国立博物館の坂本龍馬展を見に行くために、午前中だけの調査となった。淀城は京阪電車淀駅のホームから見る石垣が一番美しいかも。

 9月14日  京都史蹟調査
草津本陣、宝積寺(仁王門・三重塔・天王山扁額)、十七烈士の墓、十七烈士墓表碑(真木和泉の墓)、離宮八幡宮

●草津本陣は時間が止まったかのような錯覚を起こさせる建物であった。畳廊下は楽しかった。当主の話ではこの本陣で亡くなった殿様がいたそうで、跡目相続のため遺体を動かすことが出来ず、70日間遺体が安置されていた話や、和宮が3回ここに泊まったそうだが、1回目は将軍家茂に嫁ぐため、盛大にもてなされ、豪勢な食事。2回目は京へ慶喜嘆願のために向かったとき、普通の食事が出され、3回目は嘆願がうまくいかず、江戸へ向かうとき。このときはにぎりめしのみ。こんな話は本に載っていない! 生きた歴史を学ぶことが出来た。

●京都南インター近くのおせきもちで休息。大量の餅を食らった私は満足であったが、胸焼けしてしまった。●天王山は何度か登っているが、さすがにつらい。

 9月7日  京都史蹟調査
祇園白川通、大村益次郎寓居跡と遭難地碑、佐久間象山寓居跡、佐久間象山遭難之地、武市瑞山寓居跡、常楽寺(麻田時太郎墓)、誓願寺、鳩居堂、、南禅寺三門、金戒光明寺、山紫水明処、梨木神社(三条家旧邸跡)、新島襄旧宅跡、建礼門、堺町御門、猿ケ辻(姉小路公知卿遭難跡)、中山家旧邸と祐ノ井、蛤御門、大久保利通邸跡、清浄華院(姉小路公知墓・玉松操墓)、横井小楠殉節地、本満寺、薩摩藩二本松藩邸跡、福勝寺(古高俊太郎遺髪墓)、越前藩邸跡、小浜藩邸跡、京都守護職屋敷正門、所司代下屋敷跡、所司代中屋敷跡(板倉勝重・重宗屋敷跡)、所司代上屋敷跡、永井尚志邸跡、西町奉行所跡、二条城、二条陣屋、橋本左内宅跡、東町奉行所跡、六角獄舎跡、光縁寺、中村小勝太邸跡、南部亀次郎邸跡、壬生寺、壬生寺共同墓地、壬生新地跡、油小路、東寺、伏見奉行所跡碑、大光寺、流れ橋、樟葉砲台跡

●二条陣屋は予約制で京都には珍しい仕掛けのたくさんある本陣。京都には各藩邸がたくさんあるが、ここでも殿様が泊まったりしたようだ。たまたま予約してすぐに見ることが出来たのでラッキーだった。

●二条城は特別拝観で本丸御殿が見学できた。皆さんがいつも行くのは二の丸御殿。ここでトイレに走ったK氏は600円も払ってトイレだけすまして車に戻ったそうな。私とO氏は本丸御殿まで行きました。ここの2階から見る庭は格別ですわ。

 8月17日  兵庫姫路史蹟調査
亀山本徳寺(西本願寺北集会所・新選組が屯所として使用していた建物)、西南役戦没者碑 岡山県高梁市へ山田方谷関連史跡へ。

●姫路が取材目的であったが、ここまで来たからと岡山県高梁市まで足を伸ばす。亀山本徳寺はドラマでも使用された。本堂前は大きな広場があり、当時の面影を充分再現してくれる。

 8月16日  京都史蹟調査
壬生周辺の確認、八木邸(新選組屯所跡)、中村小勝太邸跡、南部亀次郎邸跡、壬生寺共同墓地、壬生新地跡、霊山護国神社(池田屋事変墓、木戸孝允夫妻墓、禁門の変墓、坂本龍馬墓、中岡慎太郎墓、西川耕蔵墓、平野国臣墓、古高俊太郎墓、村井正礼墓など)、伊藤公顕彰碑、月真院(御陵衛士屯所跡)、翠紅館跡、明保野亭騒動の跡・明保野亭跡、石塀小路、陸援隊屯所跡(土佐藩白川邸跡)、秋の山・鳥羽伏見戦跡碑、安楽寿院(官軍本営跡維新戦跡碑)、小枝橋・鳥羽伏見戦跡碑、城南宮(官軍本営跡)、悲願寺墓地(東軍戦死者埋骨地)、法伝寺(東軍戦死者埋骨地・戊辰東軍戦死之碑)、鳥羽伏見戦跡碑、魚三楼の弾痕、御香宮神社(薩長軍本陣・明治維新伏見戦跡碑)、悟真寺(東軍戦死者埋骨地・戊辰之役東軍戦死者之碑・東軍戦死者埋骨所)、薩摩藩伏見邸跡、東本願寺伏見別院、伏見奉行所跡碑、維新戦碑

●霊山護国神社より現在は行けないが、山上へ上る道がある。この道をあがること10分ぐらいで山上に出る。その山上に伊藤公顕彰碑がある。少なくとも衣服はドロドロになるので御注意を。

●伏見奉行所の石碑が二つある? 団地の入口に石碑があるのは有名ですが、もう一つ、桃陵中学校のグランドにある。学校正門中には、維新戦碑も建っている。最近学校を取り巻く事件が多発しているので、学校内にはいるときは、インターフォンで、来訪目的と撮影許可を取ること!

 8月10日  京都史蹟調査
光明寺跡(東軍戦死者埋骨地)、大専寺(東軍戦死者埋骨地)、長円寺(東軍戦死者埋骨地・森田貫輔首級碑・戊辰役東軍戦死者之碑)、東運寺(東軍戦死者埋骨地)、文相寺(東軍戦死者埋骨地)、妙教寺、淀小橋旧碑跡、淀城址、旧前川邸(新選組屯所跡)、新徳禅寺(清河八郎寓居跡)、新選組馬小屋跡、中村小勝太邸跡、南部亀次郎邸跡、肥後藩邸跡、壬生寺(河合耆三郎墓・野口健司ら七人墓・近藤勇胸像・新選組記念碑・芹沢鴨・平山五郎墓)、壬生寺共同墓地、壬生新地跡、八木邸(新選組屯所跡)

●炎天下の中、K氏O氏U氏の3人で調査。暑さのためかU氏バテバテ状態。当然である。京都の夏は暑すぎる。それでも調査に行く3人は素晴らしいと思う。

 7月13日  京都史蹟調査
教善寺(渡辺篤墓)、華光寺(宇喜多父子墓)、浄円寺(池田屋惣兵衛墓)、竹林寺(平野国臣ら志士墓地)、西刑場跡、福勝寺(古高俊太郎遺髪墓)、梅田雲浜邸跡、南禅寺三門、南禅寺(徳島藩本陣・肥後藩本陣)、南禅寺金地院(戊辰伏見鳥羽之役東軍戦死人追悼碑・会津藩戦死者記念碑)、南禅寺天授庵(梁川星巌・紅蘭墓・横井小楠墓)、南禅寺法皇寺(六角獄舎門)、北垣国道銅像、西本願寺、横井小楠殉難地、不動堂村屯所跡、秋の山・鳥羽伏見戦跡碑、小枝橋・鳥羽伏見戦跡碑、悲願寺墓地(東軍戦死者埋骨地)、法伝寺(東軍戦死者埋骨地・戊辰東軍戦死之碑)、愛宕茶屋(東軍戦死者埋骨地)、八番楳木(東軍戦死者埋骨地・戊辰役戦死者碑)、戊辰戦場址碑、妙教寺(戊辰役東軍戦死者之碑・砲弾跡)、淀堤千両松跡、番賀墓地(東軍戦死者埋骨地)、八幡共同墓地(大谷直墓)

●小枝橋がなくなっている・・・。新しく北へ50mの所に大きな小枝橋が出来ている。戦跡の石碑も違う方向を向いていた。石碑の位置が変わることはよくあるが、向きが変わることはあまりない。

●これだけの史蹟を調査するには車が必要。頑張って調査する。場所によっては数回の調査をしているところもある。今回は東京より編集者兼メンバーのS氏夫妻が来阪したので、現在までの調査報告と案内をした。

●大谷直について 実はO氏が「中山忠光の墓が八幡にある?」との記事を見つけた事に始まる。「え? 忠光は山口で客死し、下関に墓があるけど・・・」。この疑問を解くために、記事を参考に帰路八幡によってみた。

 7月6日  京都史蹟調査
教善寺(渡辺篤墓)、華光寺(宇喜多父子墓)、浄円寺(池田屋惣兵衛墓)、竹林寺(平野国臣ら志士墓地)、西刑場跡、福勝寺(古高俊太郎遺髪墓)、岩倉具視幽棲旧宅・岩倉具視遺髪墓、三縁寺(池田屋事変殉難烈士墳墓)、圓光寺(村山たか墓)、金福寺(村山たか隠棲地)、山国隊墓所

●今回は京都西部と北部。時間がかなりあったので、京北町まで足を伸ばす。そしてU氏おすすめの村山たか関連史跡へ行った。

 6月13〜15日  北海道史蹟調査
○江差町−江差法華寺(檜山奉行所正門)、江差招魂社、江差招魂社(王政維新五十年記念碑、駒井政五郎墓、幕府軍艦開陽丸記念碑)、開陽丸、開陽丸記念館、開陽丸終焉之地、檜山奉行所跡 ○大野町−富比神社の戦い、市渡小のクリの木、稲荷神社・川濯神社(旧幕軍作戦本部)、佐藤安之助墓、硝煙倉の沢、天狗岳、中山峠、二股口古戦場跡二股口、無縁墓地、無名戦死者の墓、野戦病院跡地 ○乙部町−箱館戦争官軍上陸の地 ○木古内町−木古内古戦場、咸臨丸座礁地、建有川寒門跡、不来台場跡 ○知内町−イギリア号遭難の地 ○七飯町−峠下古戦場、宝琳寺(新政府軍墓)

○函館市−石川啄木一族の墓、沖野口番所(箱館郵便役所跡)、亀田八幡宮、特別史跡五稜郭公園(函館博物館五稜郭分館、五稜郭タワー、五稜郭箱館奉行所兵糧庫跡、箱館戦争供養塔)、光明寺(旧幕軍・官軍戦死者墓)、高龍寺(傷心惨目碑)、四稜郭、旧称名寺、実行寺(旧幕戦死者墓)、称名寺(土方歳三・高田屋嘉兵衛墓、野戦病院跡)、咬菜園跡、高田屋屋敷跡・高田屋嘉兵衛銅像、千代ヶ岡陣屋跡、旧東照宮と権現台場跡、七重浜、中島三郎助父子最期の地碑、新島襄海外渡航の地碑、日本最初のコンクリート電柱、函館護国神社(新政府軍墓地)、箱館奉行所跡、八幡坂、碧血碑(柳川熊吉翁碑)、土方歳三函館記念館、土方歳三最期の地碑、弁天台場跡、己巳役海軍戦死跡、武蔵野楼跡

○福島町−福島大神宮(福島砲台)、法界寺(毛利秀吉墓) ○松前町−沖の口役所跡、ゴローニン幽閉地、法華寺(赤羽音吉墓、大庭久輔・関清輔墓、砲台跡)、松前城(福山城)、藩屋敷、松前奉行所跡 ○森町−鷲の木上陸地、箱館戦争鷲ノ木戦没者之碑、霊鷲院 ○八雲町−箱館戦争陣地跡、箱館戦争戦没者之墓(槇孝次郎・藤原与右衛門)

●突然函館に行きたくなったので、飛んでいった。早朝に大阪を出たのだが、千歳空港から道南の森町までが遠い遠い。その日は森町と江差で終わってしまった。翌日早朝から函館市内を回ったが、午前中で終了。昼から大野町付近へ。最終日は早朝から松前と木古内へ行った。今回の調査は戦況と同じように進んだので、最後が五稜郭になった。ここに立て籠もって戦ったのか・・・と。感極まって落涙してしまった。観光客のおばちゃん達は「?」とした顔して通り過ぎていった。ここで何があったのか。知っていれば少しは感動するものを・・・。戦跡順にまわったほうが、格別の感動があるのかもしれない。撮った写真600枚近く・・・。当然朝食は朝市でウニ丼でした。これは絶品!!

●今回の見所は、四稜郭、中山峠、二股口など、当時のまま残っているのがうれしい。大野町は親切な町だった。至る所に看板があり、とにかく分かりやすかった。歴史を大切にしている町だ。

 6月1日  天誅組史蹟調査
井澤宜庵宅址、常楽院(井澤宜庵墓・井澤宜庵頌徳碑)、乾十郎宅址、乾十郎先生顕彰碑、乾十郎之墓、岡八幡宮、五條代官所跡、桜井寺(天誅組本陣跡・手水鉢・天誅組義挙殉国諸霊供養碑)、史蹟公園(明治維新発祥之地・五條代官所長屋門)、極楽寺墓地(鈴木源内外五士之墓・森田文庵墓)、森田節斎頌徳碑、森田節斎宅址

●五條歴史博物館で「天誅組展」が開催されていたので、それを見学しに行った。目新しい資料はなかったが、天誅組の展示会は珍しい。五條市の奮闘に感謝である。

 5月10〜11日  福井史蹟調査
福井市内−異人館跡、御泉水屋敷(養浩館)、黄金舎跡(橘曙覧記念館)、加賀口御門跡、笠原白翁寓居跡、旧浜町、日下部・グリフィス像、左内公園(橋本左内墓・銅像)、佐佳枝廼社(中根雪江顕彰碑)、柴田勝家・お市の墓、下坂康継顕彰碑、除痘館跡、瑞源寺(福井城移築)、大安善寺(千畳敷・藩主墓、笠原白翁墓、橘曙覧墓)、丹巌洞、橘曙覧生誕地、たばこや旅館(龍馬宿泊地)、中根雪江宅跡、橋本左内生誕地、灰塚、菱川師福生誕地、福井城跡、福井神社(松平春嶽坐像)、三岡八郎宅跡、三岡八郎銅像、横井小楠・由利公正銅像、横井小楠寓居跡  ○敦賀市内−永覚寺(天狗党仮白州)、永源寺(天狗党少年保護)、新保陣屋、敦賀郷土資料館、松原神社(水戸天狗党墓、水戸烈士追悼碑、武田耕雲斎銅像、鰊蔵)  ○小浜市内−小浜城跡、梅田雲浜顕彰碑、梅田雲浜生誕地、梅田雲浜銅像、梅田雲浜墓、杉田玄白顕彰碑・銅像、順造門、中川淳庵碑、伴信友生誕地、

●福井は幕末の隠れた史跡がたくさんある。戦国時代は柴田勝家や浅井・朝倉で有名であるが、幕末は橋本左内や松平春嶽、三岡八郎を輩出している。

 5月3日  大阪史蹟調査
諏訪神社(五稜郭大砲)、南部藩武家屋敷跡、平野屋跡、旧鴻池家本宅跡、万福寺(新選組大阪屯所)、大利鼎吉遭難之地、本伝寺(谷三兄弟墓)、佐賀藩蔵屋敷跡、肥前小城藩蔵屋敷跡、大阪城京橋口、天満橋、天神橋、東町奉行所跡、西町奉行所跡、京屋忠兵衛宅跡、八軒家船着き場

●諏訪神社に五稜郭攻撃の大砲が残っている!? こんな記事を目敏く発見した私は早速幕史研で行ってみた。どうみても弾と大砲の大きさが違う。いろいろ頭の中が????になる中、宮司さんに聞いてみた。すると「それは偽物です」と。え? ここにあるいきさつも分からないそうだ・・・。疑問が頭に残りながら・・・次へ。

●内山彦次郎はどこで殺害されたのか?記録では「天神橋」になっている。ただ少し疑問。古地図では天神橋が3間、天満橋が4間。役宅から奉行所まで最短コースは天満橋。公儀がつくった橋は天満橋、天神橋、浪華橋と3つあり、天神橋は商人街をつなぐ橋だったので、商人の利用が多く、天満橋は役所がたくさんあったので、役人の利用が多かった。それに3間と4間を考えると、4間の橋を通る可能性のほうが高いと思われる。まあ勘ですが。

●京屋忠兵衛宅跡ってどこ? これは諸説有ります。土佐堀通の南側、現在の八軒家船着き場跡の石碑がある方と、北側、現在の天満橋駅がある方と。まあよく考えると、土佐堀川と土佐堀通の間にあったのではないかと思われる。これも勘ですが・・・。

 4月29日  京都史蹟調査
池田屋騒動之址、近江屋(坂本龍馬中岡慎太郎遭難之地)、三条会所跡、三条大橋、三条制札場跡、四国屋(丹虎)跡、武市瑞山寓居跡、吉村寅太郎寓居跡、八坂神社、月真院、明保野亭跡、妙法院、浄円寺(池田屋惣兵衛墓)、永井尚志邸跡、菱屋跡、熊本藩士と新選組口論の地、京都守護職屋敷跡、京都御所

●妙法院が特別拝観で見学できたことが一番の収穫。8.18の政変で京を追われた七卿がまずこの妙法院に入って、それから長州へ落ち延びていく。出発した門と出口を確認。玉座もあってなかなかよし。1時間以上堪能した。たまたま車で通りかかったときO氏が目敏く見つけた。

●守護職屋敷跡があった府庁は休日は休みだが、東口の守衛室に声をかけると中に入れる。

 3月21日  京都史蹟調査
金戒光明寺(会津墓地、柴司墓、井汲恭平墓、赤松小三郎墓、千種有文墓)、真如堂(石田英吉墓)、梁川星巌邸跡、東三本木の幾松のいた揚屋跡、山紫水明処、吉田屋旅館跡、立命館草創の地、木戸孝允邸跡、舎密局跡、島田左近暗殺地、角倉了以宅跡(第二無鄰菴)、池田屋騒動之址、大村益次郎寓居跡と遭難地碑、桂小五郎と幾松寓居跡、加賀藩邸跡、古東領左衛門寓居跡、佐久間象山寓居跡、佐久間象山遭難之地、三条会所跡、三条大橋、三条制札場跡、四国屋(丹虎)跡、武市瑞山寓居跡、対馬藩邸跡、平野国臣潜居跡、吉村寅太郎寓居跡、高山彦九郎銅像、小川亭跡、城安寺(伊東甲子太郎宿泊地)、泉涌寺戒光寺墓地(伊東甲子太郎ら御陵衛士墓)

●木戸孝允邸跡は厚生施設かもがわの中にあり、休日は入れないが、何故か開いていたので見学できた。 

●彼岸だったので、墓地はきれいに掃き清められ、花や供養がたくさん置いてあった。チョコレートや折り鶴が供えられている。ファンの方だろうか? 新選組から少しずれて、何度も行った高瀬川になってしまった。高瀬川は早朝しか写真撮影ができないので、次回に回すことにした。

 3月18日  東京史蹟調査
新選組供養塔、近藤勇の墓、新選組永倉新八墓、近藤勇最期の地、板橋宿本陣跡

●近藤勇最後の場所。JR板橋駅下車目の前にこの一角がある。

 2月23日  京都史蹟調査
新選組不動堂屯所跡、近藤勇妾宅跡、本光寺、油小路の変、天満屋跡(中井正五郎殉難地)、西本願寺(太鼓楼)、島原大門、輪違屋、角屋、新選組記念館、八木邸(新選組屯所)、旧前川邸(新選組屯所)、壬生寺、新徳寺、光縁寺、六角獄舎跡、西町奉行所跡、東町奉行所跡

●幕史研初の史蹟調査。1回目の調査では寺は次に回すことにして、オーソドックスな新選組のコースを歩いてみた。かなりの距離ではあったが目的があると非常に歩きやすい。久々に志の高い史蹟調査になった。結構抜け落ちがあったが、1回目としては大満足だった。 

●八木邸では芹沢鴨がつまづいた机があった。いじり担当のK氏はひたすらこの机をネタに語っていた。新選組が我が物顔で屋敷を使われた八木家はどのような思いで、住んでいたのか? 初期の新選組は金策のため芹沢を利用したのか? それとも芹沢が利用したのか? 近藤が新選組を統率するため粛正をしていく・・・。その現場になったところだ。 

●光縁寺では山南敬助の命日とあって、熱心なファンが大勢いたが、ひときわ目を引いたのは、だんだら羽織と袴姿ではちまきを巻いている女性だった。新選組ファンは断然女性が多く、ほとんどが女性の方だった。マニアックを自負する我々も少し身をひいてしまった。

●本光寺住職の話−伊東甲子太郎が死んだときにもたれかかった「題目石」は現在、門の内側にあるが、当時の門はもっと内側にあり、門前に「題目石」があった。 ●堀川通は現在、京都駅付近で東に曲がっているが、当時はまっすぐ南に向いていた。そして曲がっている堀川通が、昔の醒ヶ井通になる。ということは、新選組の不動堂屯所は、現在の西堀川通から油小路通の間にあった。近藤勇の妾宅で飲酒した伊東は西堀川通西側(屯所西側)から木津屋橋通を東へ移動し、油小路通を北上した。 ●油小路通は当時と同じ道幅だった。七条通の道幅は今の油小路通と同じぐらいだったそうだ。現在は北に拡張され、家を3件分削ったそうだ。油小路七条の交差点の南西門の駐車場前の自動販売機あたりに伊東の遺体を置いて、御陵衛士が来るのを待っていたそうだ。

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