宇 都 宮

一向寺(宇都宮藩卒官修墓・倉田弥重墓・慰霊碑)
           
左は近年建てられた戊辰戦争の慰霊碑。
宇都宮藩卒・倉田弥重墓
宇都宮攻防戦で功績があり、藩卒に抜擢された。慶応4年8月30日、陸奥の倉谷村での戦闘で斃れた。享年41歳。もとは長楽寺にあったが廃寺となったため一向寺に移された。
アクセス 宇都宮市西原2丁目1-10
光琳寺 「官軍因州藩士之墓」 「戊辰の役幕府軍桑名藩士之墓」
          
 官軍と旧幕府軍の墓が向かい合って建っている。ともに合葬墓で、「官軍因州藩士之墓」は慶応4年4月22・23日の戦闘で戦死した7名(うち3名は壬生町興光寺官修墓にもある)の名前が刻まれている。南向きに建つ。
「戊辰の役幕府軍桑名藩士之墓」は、明治5年に旧桑名藩士で維新後、陸軍幹部になった2名によって建立された。墓碑には7名の名前が刻まれている。北向きに建つ。
「因州藩士之墓」には「河田左久馬従士、旧桑名藩三崎二郎之久」と刻まれる桑名藩士三崎二郎(南合直道)の名前がある。三崎は尊王の志を抱き、脱藩して各地を奔走、因州藩士の河田左久馬と親交があり従軍して戦死した。同じ藩士が敵味方に分かれて戦った。
アクセス 宇都宮市西原1丁目4-12
戊辰役戦死墓
             
 通称「六道の辻」にこの墓碑がある。三基の石碑があるが、左の説明碑と右の戊辰役戦士墓明治百年祭記念碑」は、明治100年を記念して昭和42年に建てられた。
 中央は「戊辰之役戦士墓」は明治7年に建立された。建立者は旧宇都宮藩士14名。
 遺棄された旧幕府軍の戦死者を、ひそかにこの地に埋葬した。「賊軍兵士を官軍兵士が祀る」これはあり得ないことで、新政府軍と旧幕府軍双方が埋葬されているとの話も出たが、官修墓の存在もありこれはあり得ない話となる。
 意外なところから話の詳細が出てきた。
 会津の飯寺で長岡藩兵と宇都宮藩戸田三男隊が濃霧の中で遭遇した。味方と勘違いした家老山本帯刀率いる長岡藩兵はあっけなく捕まってしまう。軍監の中村半次郎の判断で山本と部下は分けられて処刑された。その直前、死を覚悟した山本たちは自らの愛刀と部下の所持金を集めて、「これを貴藩に提供する。相当の費用に充てて欲しい」と。
 戸田三男は宇都宮帰藩後、受け取った二百両を有志の賛同を得て旧幕府軍戦死者の墓地を整理し建碑した。
アクセス 宇都宮市西原1丁目5-19付近
台陽寺(宇都宮藩天野六郎貞厚墓)
 慶応4年4月19日の宇都宮城攻防戦で、旧幕府軍と宇都宮藩兵は、現在の旭中学校付近で白兵戦となった。家老の藤田左京の一隊にいた天野六郎ら数名が戦死。享年21歳。この戦いで宇都宮藩は10名の戦死者を出した。その一人に山本松三郎がいた。松三郎の兄で元吉の子が山本有三で「米百俵」を書いた文豪である。
アクセス 宇都宮市新町1丁目6-12
高籠神社(官軍宇都宮藩軍夫墓・菊地長吉・山口亀吉・関口竹三郎)
 石塀に囲まれた官修墓。宇都宮藩軍夫として戦死した3名の墓。裏面には「明治元年9月5日、岩代国会津郡若松において戦死」とある。この9月5日は佐川官兵衛指揮する会津軍と飯寺という所で激しい戦闘が行われ、新政府軍は大苦戦した。戦死者11名、負傷者29名とあるが兵士の数だけである。軍夫は死傷者数に入っていない。
アクセス 宇都宮市簗瀬1丁目16 高籠神社付近
慈光寺(宇都宮藩官修墓)
宇都宮藩官修墓は他に
慈光寺(宇都宮市塙田1丁目3-3)、光明寺(宇都宮市野沢町342)、
天勢寺(宇都宮市栄町3-10)、安養寺(宇都宮市材木町5-15)、
観専寺(宇都宮市材木町6-11)にもある。
常念寺(彰義隊数士之墓)
 明治27年、旧宇都宮城南館の地に池上町の貸座敷が移転してきた際、そこにあった墓石を同寺に移したという。墓の左側面に「明治7年4月角田氏、登坂氏建之」、右側面には表面が剥落して判読しにくいが、「数士の姓名はつまびらかならず。戊辰の夏、この地に戦死す。里人これを埋む。7年、敵のために碑を建つ。何となれば恨みを改め、幽魂を慰めんためなり」とある。
アクセス 宇都宮市花房1丁目6-20
戦士死十七名霊
 慶応4年4月22日、旧栃木街道より雀宮に通じる安産稲荷道の分岐点に建つ。安塚の戦死墓と同様、旧幕府軍兵士の墓で、「明治元年四月二一日より二二日に至る」と刻まれている。伝承によると旧幕府軍の遺棄死体が17名程あり、地元農民が有志を募り無縁者供養碑を建てた。

アクセス 宇都宮市幕田町669付近
報恩寺(戊辰薩藩戦死者墓・戦死烈士之墓・宇都宮藩士官軍七首級之墓)
          
報恩寺 戊辰薩藩戦死者墓
 報恩寺には戦死した政府軍兵士を手厚く葬った官修墓地がある。中でも薩摩藩戦死者墓は、大正6年に建立、銘は松方正義の筆のよる。23名の戦死者名が刻まれている。
 県信緝の撰による「戊辰役戦士記」、薩摩・長州・大垣藩の戦死者を祀る「戦死烈士之墓」は寺域にもかかわらず鳥居を持つ構造で、桐野利秋や野津七次の寄進灯籠がある。
 長州や大垣藩士の墓や、宇都宮藩士墓もある。
 「官軍七首級之墓」墓石側面と傍らの碑から、宇都宮藩士斎田権兵衛・田中伍太夫・彦坂新太郎と佐賀藩四士の首級墓であること、田中については6月26日の藤原の戦いで戦死し、後年首のない遺骸が送り届けられ埋葬されたことがわかる。佐賀藩士の姓名は不明。墓は明治5年に建てられ、明治26年に改葬された。
アクセス 宇都宮市西原1丁目3-13
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