大田原市

大田原城址
          
 慶応4年5月2日の大田原城攻防戦。会津幕府軍は1000名の軍勢で、大田原城に襲いかかった。守る大田原藩は100名足らず。秋月登之助率いる主力隊と原田主馬之助率いる迂回隊で猛攻をかけ、落城寸前まで追い込むが、折からの豪雨で両軍退却となった。
アクセス 大田原市城山 龍城公園
大田原護国神社(招忠魂碑)
         
 明治11年に大田原招魂社として設置された。昭和14年に護国神社に改称。境内に「招忠魂碑」があり、裏面には「戊辰之役大田原藩戦死人名」18名が刻まれている。この碑は明治10年建碑。
アクセス 大田原市山の手2丁目 大田原護国神社
観音堂(早川永宣墓)
 大田原城坂下門攻防戦で、戦士隊組頭早川永宣が二の丸侵入を阻止すべく土塁上で奮戦するも銃撃を浴びて戦死した。墓碑には「早川先生墓」となっている。
アクセス 大田原市元町2丁目
光真寺(大田原鉄之進墓)
          
 大田原城攻防戦で、下町付近を守衛していた家老格の大田原鉄之進は、迂回隊の進撃に対して城の防衛が急務と判断し、引き返す途中の荒町付近で会津幕府軍に包囲され、正法寺付近で戦死した。
アクセス 大田原市山の手2丁目11-14 寺の墓域はかなり広いので心して探してください。
大雄寺(戦死吊祭塔・黒羽表忠碑・軍夫死者之碑)
 黒羽藩主大関増勤や藩主が祭主となって戊辰戦争で戦死した24名の藩士を弔う招魂場をこの寺に設けた。
 「戦死吊祭塔」には戦死者の名前を刻み、「黒羽表忠碑」「軍夫死者之碑」も建てられた。
アクセス 大田原市黒羽田町450
戦死塔
 自然石に「戦死塔」「明治元年9月27日」と刻まれてある。道路拡張のため現在地に移転されたらしい。
アクセス 大田原市佐良土 なかがわ遊水館付近
宝寿院(戦死供養塔)
 旧湯津上村片府田で戦死した水戸・長岡藩兵の墓である。当初、無縁仏として葬られていたが、明治21年9月27日、村人達によって供養塔が建立された。台石に村女人中とあり、女性によって建てられた。
アクセス 大田原市片府田1075-4
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