那須塩原市

板室古戦場跡・戦死供養塔
 閏4月22日、板室の戦いは、午前が阿久戸、午後が板室本村で戦われた。阿久戸の戦いで、那珂川を挟む河岸段丘上に両軍が対峙し砲撃戦となったが、新政府軍は迂回部隊を送り側面からの攻撃を開始した。不意をつかれた旧幕府軍は混乱し、阿久戸坂上の台地で激しい戦闘になった。
 旧幕府軍は20名以上の戦死者を出し板室へ後退した。17名を祀った供養塔は地元民25名が出資し、明治27年の27回忌に建てたが、「左いたむろ、右ろくとち」と刻まれていて道標の役割も果たしている全国でも珍しい供養塔である。
アクセス 栃木県那須塩原市板室(旧黒磯市板室) 那須フィッシュランド近く 地元の方も知らない人が多かった。電柱横に白い木碑がある。車の走る道から少し旧道を入ったところにある。
会津街道 道標
板室大日堂前に、天保7年に建てられた道標。
「右 会津街道」「左 ゆもと道」 ゆもと道とは板室温泉のこと。
アクセス 栃木県那須塩原市板室 大日堂前にある。
妙雲寺
 塩原温泉に妙雲寺という古刹がある。ここには会津藩と郡上藩の凌霜隊が駐屯していたが、劣勢になり退却するとき、村全体を焼き払った。この妙雲寺も焼き払う予定であったが無事だった。
 実は本堂の天井一面に88枚の菊の御門が描かれているが、2枚を残し全部×印がついている。
 理由は「会津藩が寺を焼けなかったので腹いせに御門に不敬した」とか「2枚だけ×印がないのは慌てて逃げたから」ともいわれている。
 今回、歴史群像の取材の課程で「会津兵や凌霜隊はこの寺を焼く気はなく、解体するつもりだった」とのこと。実際には寺を敵に使われないためのに解体を計画し、御門も不敬にならないよう×印をつけたのだろう。
アクセス 栃木県那須塩原市塩原665
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