壬生町

安塚本陣島田家

 壬生城に入城した新政府軍は、因州・土佐を主力として、安塚に向かい、ここ島田重兵衛家を本陣として幕府軍と向き合った。仮病院も置かれた。

アクセス 壬生町安塚 東武宇都宮線安塚駅沿い県道65号(鹿沼石橋)線を北へ300mぐらい
興光寺(官修墓)
          
 安塚三志士の首級が埋葬されている。壬生藩1名、吹上藩2名、因州藩1名、土佐藩7名、松本藩2名、山国隊3名の16名が祀られている。
アクセス 栃木県下都賀郡壬生町通町7-13
戊辰役戦死之墓
          
 大鳥圭介は会津藩を中心として奥羽同盟を強大にすべく壬生を経て宇都宮に入ろうとしたが、壬生藩の拒絶にあい、鹿沼を通り宇都宮に入った。その後、壬生を攻略しようと幕田に進出。
 一方、壬生に入城した因州と土佐藩を主力として安塚に向かい、島田家を本陣とし、幕府軍と姿川を挟み陣を構えた。慶応4年4月21日夜半から約4時、豪雨と深い霧の中で行われたといわれている。
 この時戦死した幕府軍34名の霊を弔い、有志大久保菊十郎他3名の手によって、明治13年に建立された。
アクセス 安塚島田家本陣より北へ600m、淀橋(姿川)手前200mほど右手に見える
戊辰役三志士墓
 4月22日の戦闘で戦死した土佐藩士国吉栄之進、武市権兵衛、半田擢吉の墓。島田家の口伝によれば、陣頭にて国吉が奮戦中、銃創を得て同家に運ばれるも出血甚だしく、割腹自刃を遂げた。戦後、首級は壬生興光寺に送られ、遺体は島田重兵衛によって安塚南端の辻に埋葬され墓碑が建てられた。
アクセス 安塚島田家本陣近く
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