山  科

粟田口刑場跡
江戸時代、公的処刑場として粟田口と西土手の二カ所があった。刑場がどこにあったかは不明で、京阪電車の旧京津線の九条山駅付近にあったと思われる。ここで処刑された人数も定かでなく、粟田口は京都と大津を結ぶ重要街道として利用されていた。

安政の大獄で奔走した京都西町奉行所与力の渡辺金三郎、上田助之丞、大河原重蔵が文久2年9月23日に暗殺されて、24日に粟田口に梟首された。

アクセス 旧東海道(府道143号線四ノ宮四ッ塚線の九条山交差点付近
本圀寺(水戸藩本陣)
 本圀寺は日蓮宗の大本山で、弘長3年(1263)5月、大光山本国土妙寺として創設された。

 文久3年当時、水戸藩の本陣が置かれた。昭和46年に当地に移転したが、以前は下京区猪熊通花屋町上ル柿本町にあった。

 8月には鳥取藩の藩内抗争で河田左久馬ら20名の襲撃受け惨殺される事件があった。

アクセス  地下鉄東西線御陵駅下車 徒歩約15分 山科区御陵大岩六 
奴茶屋
 「長々と続く日岡村を過ぎ、京から一里の奴茶屋まで一筋の狭い道を通って行き、そこで茶を飲んで、酒で重くなった頭をいやした。」『江戸参府旅行日記』(ケンペル1691年)

 奴茶屋は、南北朝時代末から営まれた茶屋に始まると伝えられている。楠木正成のひ孫が開いたと言われている。江戸時代には、東海道の著名な立場(旅人の休憩所)としてにぎわった。

 幕末には和宮が江戸へ向かう途中に休息し、徳川家茂も上洛の時に小憩し、明治天皇もここを訪れている。

アクセス JR,京阪、地下鉄東西線、山科駅下車1分 山科区安朱桟敷町23 ラクト A 2階