舞  子

左海屋跡(さかいや)

 文久3年(1863)6月25日、坂本龍馬は旅宿左海屋で宿泊。明石藩日記には次のように記載されています。「六月廿五日 一今四時迄佐藤与之助舞子へ罷越候ニ付(途中省略)右之面々罷越 土州坂本龍馬 高松五郎 右堺屋へ旅宿申付(以下省略)」【龍馬宿泊の「左海屋」の絵葉書発見!! 白濱忠信氏著(歴史読本2004年7月号)より抜粋】

アクセス 垂水区東舞子町5(ルネ舞子)
萬亀楼跡(ばんきろう)
 腰掛茶屋が盛んで、萬亀楼、左海屋、亀屋などがあった。伊藤博文、井上馨、東郷平八郎などもこれらの旅館に宿泊した。萬亀楼は明治27年に創業した料理旅館。格式のある佇まいと生簀料理で好評。 太平洋戦争が激化する昭和18年閉店。萬亀楼の一部が現存しており当時を偲ぶ事ができる。
アクセス 垂水区東舞子町5(舞子マンション)
舞子砲台跡
    
 舞子砲台は幕命により、文久3年(1863)勝海舟が指導し、明石藩が舞子海岸に築造した砲台。工事は備前の谷淺吉と明石の都藤六兵衛の石工2名が請負い、明石藩士がこれを手伝った。文久3年(1863)に築造を開始し、元治元年(1864)あるいは慶応元年(1865)に完成。大筒が3門据え付けられたとしている記録もあるが、何も据え付けないまま明治維新を迎えたよう。明石藩の砲術師範荻野六兵衛は、この砲台における構造上の欠点を上げ、大砲の設置を拒んだ。藩議の結果、勝海舟が荻野六兵衛の意見を取り入れるかたちで、敵弾を防ぐ障壁を増設する工事が決定し、砲台前に土俵を高く積み上げて砲台を包む事になった。
アクセス 垂水区東舞子町2040-4
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