江差・乙部

江差法華寺(檜山奉行所正門)

 江差法華寺の山門は檜山奉行所で使用された門で、1678(延宝6)年に建造され1882(明治15)年に法華寺に移された。

 1869(明治2)年の箱館戦争では、敗残の旧幕軍兵20余名の生首をこの門にて晒したという話も伝わっている。

アクセス 江差町字本町71
江差招魂社(官軍招魂碑・王政維新五十年記念碑、幕府軍艦開陽丸記念碑)
    
 明治元年11月より明治2年5月までのいわゆる戌辰戦争で松前・山口・津軽・弘前・大野・函館在住隊、福山・徳山・岡山・久留米・水戸の各藩92柱、日清・日露戦争戦死の御霊10柱、檜山南部7町1305柱の英霊を祀る。
 明治34年4月、墳墓地其の他改造費補助金を受け、有志の協讃を得て、翌35年6月竣工、落成式斎行、明治6年招魂社、昭和45年、檜山護國神社と社名を変更する。
アクセス 江差町字本町216番地
開陽丸
     
 開陽丸は、幕末期に江戸幕府が所有していた軍艦の一つ。オランダ製。オランダでの愛称は"Voorlihter"(夜明け前)。
木造蒸気船。排水量2817t、長さ約72.8m、幅約13m、高さ約45m、補助機関馬力400、マスト3本(木造螺旋推進式)、備砲計26門(螺旋式大砲16門・16cm中級カノン砲8門)。幕府所有の軍艦の中では最強の軍艦。
平成2年(1990年)4月、北海道檜山郡江差町に開陽丸が復元された。
開陽丸記念館

 開陽丸は明治元年、戊辰戦争により江差沖に沈んだ榎本武揚率いる江戸幕府の軍艦「開陽丸」の遺物を引上げたもの。
 世界でも数少ない海底遺跡。
 昭和50年から引揚げ作業を開始し、これまでに収容した遺物は3万5千点以上。
 平成2年に実物大で復元された「開陽丸」船内に展示している。(国指定特別史跡)

アクセス 開陽丸青少年センター 北海道檜山郡江差町字姥神町1-10
開陽丸終焉之地
江差追分会館の海側にある石碑
檜山奉行所跡
檜山奉行所跡
 この建物は1887(明治20)年に檜山爾志郡役所兼江差警察署庁舎として落成。平成4年北海道有形文化財に指定され、
 平成8年に4億5千万円をかけて修復工事が行われ、創建当時の豪華な布クロスが発見された。
 1階には郡役所の成立から建築方法、修復方法などが紹介され、警察署併設だった名残の留置場も復元されている。
 2階には以前松ノ岱にあった郷土資料館が移転し、テラスからは江差港や鴎島が一望できる。

嘆きの松
 戊辰戦争で旧幕府軍の旗艦開陽丸が江差に入港し停泊した際、激しい暴風のために座礁、沈没してしまう。
 榎本武揚と土方歳三は、檜山奉行所の門横にあった松の木を何度も叩きながら、涙を流して悲しんだという話が伝わっている。
 のちに、土方が叩いた松の幹にこぶができ、人々は「歳三のこぶし」と噂したらしい。

アクセス 江差町字中歌町112

沖の口番所跡
 

 寛永7年(1630年)に設置され、延宝6年(1678年)に檜山奉行として中歌町(現在の江差町役場、旧中村家の先)に移るまで、ここで交易権の統制を担っていました。

アクセス 開陽丸から上ノ国・松前方面へ向かう左手に沖の口番所跡がある。
順正寺

星恂太郎の額兵隊駐屯所だった順正寺(現在の東本願寺別院)

アクセス 北海道桧山郡江差町字中歌町169
慶喜トンネル
五厘沢付近にあるトンネルの名前は「慶喜」
箱館戦争官軍上陸の地(乙部)

 明治2年4月9日早朝、乙部の海上に官軍の大軍隊が押し寄せ、津花(元町)、相泊(館浦)に上陸した。

 乙部に上陸した官軍は、今は「宮の森公園」の一部として整備されている瀬茂内の丘周辺などで旧幕府軍と交戦し、五稜郭をめざした。今も官軍跡地として碑が建っている。

アクセス 北海道爾志郡乙部町 国道228号線を江差から北上し、229号線で乙部方面。左手に石碑が見えてくる。
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