厚沢部

碧血碑(松前藩戦死者慰霊碑)・稲倉山古戦場

 明治元年(1868)11月13日、松岡四郎次郎率いる一聯隊(いちれんたい)約200名が、稲倉石古戦場にて松前藩兵と戦った。

 松岡隊は一時苦戦を強いられるものの、4時間余りの激闘の末、松前兵の弾薬が尽きたところを正面攻撃し稲倉石の関門奪取に成功します。

 この碧血碑は、大正8年に松前藩戦死者の慰霊碑として建立された。当時の稲倉石古戦場は、現在はダムの底になっている。

アクセス 国道227を江差に向かう途中、中山峠を越え旭トンネルに入る手前のパーキング。

館城址跡
明治元年11月15日早朝、松岡四郎次郎率いる一聯隊(いちれんたい)約120名は館城攻略に向かった。館城は2ヶ月で造られた平城で、周囲は木柵しかなく防御力はほとんど無かった。松前藩士100名が砲2門を備えているだけだった。午前9時に戦闘が始まり午後1時には松前藩は陣屋を去っていった。
松前藩正義隊隊長だった松前法華寺の住職・三上超順は松前城陥落の後は館城の守備についた。三上超順は漬物を切っていた時に攻められたらしく、左手にまな板、右手に刀を持ち、松前兵を助けるため自ら敵の前に立ちはだかり壮絶な最期を遂げたとのこと。享年34歳。
大鳥圭介は超順のことを「敵ながら無双の勇僧」と称えて、手厚く葬った。(お墓は江差護国神社境内)。

アクセス 館城跡は、鶉(うずら)からの幹線29号線(道道上磯厚沢部線)の南側を並行して走る道路にある。

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