大垣市−美濃赤坂

赤坂宿御使者場跡

赤坂宿

 御油宿や吉田宿とともに飯盛女を多く抱えていた同地は、「御油や赤坂、吉田がなけりゃ、なんのよしみで江戸通い」と言われた程、活気のある宿場町であったが、東海道本線の経由地から外れたために、御油宿同様、繁栄を鉄道通過地に奪われた。
 その後、愛知電気鉄道(現・名鉄名古屋本線)の愛電赤坂駅(現・名電赤坂駅)が設置されたものの、優等速達列車が停車しなかったため、往時の繁栄は取り戻せなかった。
 東海道筋で唯一営業を続けている旅籠として、「大橋屋」がある。創業は慶安2年(1649年)、現存の建物は正徳6年(1716年)の建築と伝えられ、創業時の屋号は「伊右エ門 鯉屋」であった。赤坂宿には、享保18年(1733年)時点で83軒の旅籠があったが、大橋屋はその中でも大旅籠に属していた。間口は9間、奥行は23間ほどである。

アクセス→大垣市赤坂東町 赤坂港跡すぐ
赤坂港跡
 中山道の宿場町として栄えた赤坂宿にあった川港の赤坂港。杭瀬川の豊富な水量を利用した船による運搬は明治年間に最盛期を迎え300隻を越える船でにぎわったといわれた。役目を終えた現在は、史跡公園として歴史を伝えている。
アクセス→大垣市赤坂町2939
赤坂塚
 「中山道六十九次」のうち江戸から数えて57番目の宿場町で、本陣・脇本陣があった。皇女和宮降嫁をしのぶ碑等が赤坂本陣跡に建てられている。ここを起点とし谷汲巡礼街道があり、分岐点には道標が建てられている。和宮降嫁の時には54軒の「お嫁入り普請」が行われた。
アクセス→赤坂港跡から中山道を西方面へ
赤坂宿本陣跡(和宮碑・所郁太郎像)
 当所は、江戸時代、大名・貴族の旅館として設置された中山道赤坂宿の本陣であった。
 間口二十四間四尺、邸の敷地は二反六畝二十六歩、建物の坪数は、およそ二百三十九坪あり、玄関・門構えの豪勢なものであった。
 寛永以後、馬渕太郎左ヱ門に次いで平田又左ヱ門が代々本陣役を継ぎ、天明、寛政のころ暫らく谷小兵衛が替ったが以後、矢橋広助が二代に及んで明治維新となり廃絶した。
 文久元年10月25日、皇女和宮が、ここに泊した事は余りにも有名である。
 昭和60年8月  大垣市赤坂商工会観光部会

公園内には和宮の碑や所郁太郎像もある。

アクセス→赤坂塚すぐ
妙法寺(所郁太郎・戸田三弥の墓)
大垣市指定史跡 所郁太郎の墓(写真右)
 所郁太郎は天保9年(1838)に中山道赤坂宿の酒造家矢橋亦一の四男として生まれ、幼少にして揖斐郡大野町西方の医師所伊織の養嗣子となった。
 その後、勤王の志を胸に国事に奔走し、長州藩遊撃軍参謀となった。井上聞多(後の元老井上馨)が刺客に襲われ、重傷を負うと外科手術を施し一命を救った。
 元治2年(1865)山口市吉敷の陣営において28歳の若さで病没した。

大垣市指定史跡 戸田三弥の墓(写真中)
 戸田三弥(寛鉄)は文政5年(1822)に大垣藩家老の家に生まれ、幕末維新の際には藩老小原鉄心と共に紛糾する藩論を勤王に統一するのに尽力した。
 また、戊辰戦争では大垣藩が東山道先鋒を命じられると軍事総裁として東北各地を転戦し軍功をあげた。
 明治維新後は新政府の要職を歴任した。

アクセス→赤坂宿本陣跡からすぐ
憂国の青年志士 所郁太郎生誕地
所郁太郎

天保9年(1838)2月16日〜慶応元年(1865)3月12日

 美濃国大野郡西方村の医者所伊織の養子となる。はじめ加納藩医青木松軒に学び、京都に出て安藤桂洲に入門。
 万延元年大坂の緒方洪庵に学んだ。ついで京都の長州藩邸側に開業し、常に尊王の大義を説いて同藩志士と交わった。文久3年同藩邸内の医院総督となり、8月18日の政変では、敗れた長州とともに長州に下って遊撃隊医官の長となった。
 元冶元年吉敷郡吉敷村新町で医院を開いた。同年9月井上 馨が遭難した際には治療に当った。慶応元年正月藩論統一の戦には、遊撃隊参謀として高杉晋作を助け、美禰郡で戦った。しかし陣中で病み吉敷村陣営で病死した。28歳。

アクセス→妙法寺からすぐ
赤坂宿脇本陣跡(現:榎屋旅館)
          
 宝暦年間以後代々飯沼家が勤め問屋も兼ねた。宿駅廃止後は旅館榎屋として今も営業する。建坪155坪。今も一部当時の座敷や賊の侵入防止の珍しい紙張りの天井が残る。

アクセス→所郁太郎生誕地すぐ
安楽寺(江馬細香退筆塚)
江馬細香 天明7年(1787)〜文久元年(1861) 
 名、多保。字、細香。号、湘夢。大垣藤江村(大垣市藤江町)に、美濃蘭学の祖といわれた大垣藩医江馬蘭斎の長女として生まれる。幼少より書や絵に励み、浦上春琴に南画を学ぶ。梁川星巌、村瀬藤城らと白鴎社を結成。頼山陽を生涯の師として生涯独身を通した。漢詩人。没後、明治4年、姪孫春齢により詩集「湘夢遺稿」刊行。小原鉄心ら仲間が、彼女の愛用した筆をここに埋め、碑を建てた。

アクセス→岐阜県大垣市赤坂町756-1勝山
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