海津市

行基寺(美濃高須藩主歴代墓)
行基寺は、天平16年行基によって開基、臥龍山菩提寺と名付けられたが、延元元年兵火によって滅尽したという。
 元禄13年尾張藩2代藩主徳川光友の次男松平摂津守義行が高須に封ぜられたとき、高須円心寺住職性誉がこの地の旧蹟再興を進言したので、義行は、松平家の菩提寺として伽藍を再建し、宝永2年7月に完成した。
 旧寺の山号をとって臥龍山行基寺と名づけ、構えは山腹を利用した城郭造りで、石塁は慶長18年名古屋城築城の際、この地方から多量に搬出された河戸石を用いている。
 山門、本堂、大書院、小書院、庫裡、松平家廟等は当時の大名の偉容を示している。文政3年に山門が建てられ、門上に三尊仏釈迦・千手・弥勒が名古屋の伊藤治郎左衛門より寄進され安置されている。
 現在の本堂は、天保3年に再建されたものである。

 元禄年間(1688頃)、尾張の徳川光友公の子・松平義行が高須藩藩主としてこの地に入国。元禄15年に松平家の菩提寺として境内及び全伽藍を改築、城郭に擬して再興した。改築工事は宝永6年(1709年)に完成し、行基寺は高須藩の隠れ城としての役割を果たすようになった。明治維新までは一般庶民の登山参詣は禁止されていた。高須藩松平家歴代藩主のうち9人の墓が建てられている。

高須藩主歴代墓(岐阜県指定史跡)
初代 摂津守義行   正徳5年没  年60歳  崇厳院廓誉俊月体道
2 代 摂津守義孝   享保17年没  年39歳  高徳院尊誉超丘英隆
4 代 中務大輔義敏  明和8年没  年40歳  蒼岳院習興仁徳音
6 代 摂津守義裕   寛政7年没  年34歳  本崇院清誉徳仁順明
7 代 弾正大弼勝當  享和元年没  年65歳  大慈院空譽常覺恵念
8 代 摂津守義居   文化元年没  年20歳  廣恩院大誉普化報眞
9 代 中務大輔義和  天保3年没  年57歳  泰量院功譽徳岸
10代 摂津守義建   文久2年没  年64歳  芳潤院建譽魁翠秉斎
12代 摂津守義端   万延元年没  年 2歳  泰巌院瑞譽秀光映林

アクセス→岐阜県海津市南濃町上野河戸1024-1
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