宝暦治水−岐阜県養老町

根古地薩摩工事義没者の墓
  
ここは工事中に役館で病死した24人の遺体を一つずつ瓶にいれて埋めたところ。大正2年池辺村民の協力で薩摩工事義没者の墓を建てた。昭和35年に発掘調査され、7個の瓶が発見され、昭和46年11月に慰霊堂を建て骨を納めた。7体の遺骨は分骨して里帰りし、鹿児島市の大中善寺にまつられている。
埋葬者は新右衛門・六平・新右衛門・利衛門・川合瀬兵衛・権右衛門・喜右衛門・長左衛門・惣左衛門・岩七・深見勘助・六左衛門・長八・三四郎・太田喜三右衛門・助次郎・仁八・大灌十左衛門・助四郎・奥八・覚左衛門・市右衛門・仁助(すべて病死)
アクセス→岐阜県養老郡養老町根古地(天照寺西北250m)
天照寺(八木七郎左衛門・松下新七・山口清作墓)
          
 総本部の近く国道258号線沿いあります。

 本堂の隣に薩摩義士資料館があり、洪水で偶然出土した薩摩義士の遺体の入っていた瓶などが展示してある。拝見したときは、びっくりして一瞬神聖な空気が流れました。本当の遺品です。それを目の前にして言葉も出ません。感動と感激しました。そして薩摩義士の思いが少しだけですが感じることが出来ました。何も語らない遺品ですが、十分私たちに何かを伝えてくれているような気がします。

アクセス→岐阜県養老郡養老町根古地218
薩摩義士役館跡・大巻 薩摩工事授館跡
  
          
 宝暦治水工事が行われるようになったとき地元の豪農鬼頭兵内が大牧(当時)を工事の中心地ということで進んでその家を改築して薩摩の本小屋として提供した。奥には薩摩藩士が使用した井戸(霊泉)もあるようだが、未確認。

 宝暦4年2月22日作業に着工し、翌5年3月28日工事が完了した。
そして5月24日鹿児島にいる国家老へ宛て、5月22日をもって工事はすべて滞りなく終わり、幕府の有司へ引き渡し済みとなった主旨の書面を認め、これを薩摩の守へ報ずるとともにその翌日25日任地大牧の役館に於いて東天に出はじめた日の出をふし拝み、西方に向かって主家の隆盛を心から祈念しつつすべての責任一身におい、悲壮なる最後を遂げたのである。享年52歳
 平田靭負公の遺骸は揖斐川を下り桑名に立ち寄り、安龍院にて一晩安置され、翌朝直ちに東海道を上り京都伏見の大黒寺に運ばれ埋葬された。

写真上の中と右が平田靭負翁終焉の地の碑  下2枚が平田靭負翁像

アクセス→岐阜県養老郡養老町大巻95
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