宝暦治水とは・・・
 幕史研は義憤に感じることや、男前集団が大好きである。

 男前と言っても、生き方や行動が男前であることですが。。。

 岐阜に男前集団が、薩摩からやって来た。今から250年以上昔の話。

 その男前集団の名前を薩摩義士という。

 はるかかなた、薩摩から岐阜へやって来て、彼らはどのような働きをしたのか? どのような男前であったのか。

 紹介せずにはいられない思いがから、衝動的に、2008年春に、数回にわたる取材調査から、彼らの足跡を追いかけてみた。

 薩摩では、関ヶ原以来の国難であり、幕府と真っ向から対決せざる終えなくなる。

 江戸中期、太平の世に、仕掛けられた戦。

かれらはどのように立ち向かったのか?

その一部の足跡を辿っていきたい。

宝暦治水事件は、江戸時代中期幕命による木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)の治水事業(宝暦治水)に絡み、工事中薩摩藩士51名自害、33名が病死し、工事完了後に工事を担当した薩摩藩士が引責自殺した事件。この事件は、関ヶ原と共に、幕末の薩摩藩による討幕運動の大きな伏線となる。
宝暦治水とは・・・
足跡−岐阜県羽島市
足跡−岐阜県輪之内町
足跡−岐阜県大垣市
足跡−岐阜県海津市
足跡−岐阜県養老町
足跡−岐阜県笠松町
足跡−三重県桑名市
足跡−愛知県弥富市
足跡−岐阜県岐阜市
足跡−愛知県犬山市
詳しいHPがあります kasen.net 宝暦治水史蹟位置図  是非ご覧下さい。
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